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心理学が好きだと思っていた

 究極的な理由は、「楽になりたい」からだ。
 自分を知りたいから、他者を知りたいから、状況をもっとコントロールしたいから、自分には心理学が必要だと思っていたけれど、なぜコントロールしたいのかというと「自分を許して、楽になりたい」願望があるからだ。


ストーリーテリング

 このことに気がつくまで、人間の心理を解説する系YouTuberの配信を見たり、アンガーマネジメントの本を読んだり、心理学は「時間があれば体系的に知る必要があることリスト」に長らく居座っていた。

 でも、今後は関係を変えていきたい。

 自分にとっての心を知る作業が「なぜ」必要だったかがわかってきたのと同時に、心理の「何を」知りたかったのかも整理されてきた。

 つまり、
「なぜ、自分の心象風景と、現実世界にはギャップがあるのか」
「小説、映画のフィクション/物語/ストーリーと、現実は、両方が私にとってリアリティがありつつ、意味合いが違うのはなぜか、それぞれの境界はどこにあるのか」
 が知りたかった。

問いが立てば、道は自ずと開かれる

 問いをどのように検証していくのかといえば、心理学の本を深く読み込むのは一旦傍に置いて、
 「物語、ストーリー、フィクションとは何か?」を知っていくのが具体的である気がしている。

 ストーリーテリングについてはビジネス面での活用ができたらと思い、ストーリー設計についての本を兼ねてからあたっており、思っていた以上に難解であり、面白かった。

 楠木氏の『ストーリーとしての競争戦略』は戦略設計において「時間軸での展開」に重きを置くことを「物語」として説明している。「登場人物」は現実世界のステークホルダーと言ったところか。戦略と名のつく以上は「ゲームメイキング」に近い気がする。
 マッキー氏は「作品」としてのストーリー設計について語っているので、「時間」についても作品の中での時間の編集方法とか、試聴時間にテクニックが細分化されている。「登場人物」はキャラクターとして作家本人が設計する。

 人間の心理の外殻を捉えた上で、適用方法を学ぶことで、私は、心理の構造自体を体系化するよりも、人間心理を踏まえた上で自分に何ができるかを知りたかったのだと気がついた。

 自分に「何ができるか」、社会人として順当に考えれば、「心理学の力でチームビルディングや交渉術を磨きたい」と真っ先に考え尽くし、私が心理学に興味を持ち続けている理由は、詰まるところ、社会で生き残り、成長する戦略を学ぶためなのだと、長らく考えていた。
 でも、違っていた。

 人心掌握は確かに大事だけれど、メソッドになった時点で大衆向けに角がまるめられ、現実の組織は、現実である以上、多少劇場的な要素こそあれ、ひとつのメソッドが効く余地は数%あれば上出来なのではないだろうか。それすらも、一回で終わらず組織の仕組みとして組み込まなければ忘れ去られていってしまう。

 だから、心理学を尊重するならば、「社会生活の全てがうまくいくため」と考えるのは、なんというか、もったいない。

物語を学ぶことで、認知を学ぶ

 マッキー氏の本を読み、「物語はどのような構造をもち、作り出されているのか」を学ぶことで、いや、そもそも作家がここまで理性的に物語を組み立てているものなのかと知ったことで、ストーリー(フィクション)と、現実世界を認知する自分と、現実に起こっていることの区別が捗った。

 そもそも違うんだから、そんなこと知る必要ないじゃんと言えばそれまでだけれど、たとえば、「左」の意味が「右の反対」で、「右」の意味が「左の反対」としか辞書に書いてないのはゴミではないだろうか。
 自分と、自分を取り巻く世界と、フィクションの世界の関係にもそれが言える。

 「なぜ現実はフィクションのようにうまくいかないのか」
 「フィクションが時に現実よりリアルに感じてしまうのはなぜか」
 「なぜ、現実とフィクションを区別しておきつつ、フィクションが不幸だと定めたシナリオのままに、現実の事件を意味づけしてしまうのか。」
 「物語がときに記憶よりも鮮明に生きながらえ、人の一生より長く語り継がれるのはなぜか。」
 「なぜ人は、作品に永遠の命を与えてしまうほど、物語を愛しているのか。」

 私は、思春期で自分と社会の境界が意識されはじめてから、周りからされたことより、自分のしたことに苛まれてきた。

 フラッシュバックの痛みで、1日に何度も立ち止まってしまうので、「したことの後悔」よりも、「しなかったことの後悔」をする方がはるかにやさしいとすら思っていた。

 「私を責め、取り返しがつかないことをしたと思わせている、お前は誰だ?」と初めて問いかけてみた。

 そこには誰もいなかった。


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