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サラバ! 物欲 <3>(創作大賞 お仕事小説部門)

物欲と離れる




釣り当日。寝坊しないように目覚ましを何重にもセット。
僕は3回目のアラームが鳴り終わったところで、けだるい体をようやく起こすことができた。朝は弱い。
「……ああ、もう時間だ 。行かなくちゃ……」
窓の外はまだ暗いまま。僕はその辺に転がっていた菓子パンをほうばりながら、釣りに行く準備を進めた。
とは言え、準備と言っても着替えるだけ。なんせ釣りは人生で初めてだったからだ。手ぶらで行かせてもらえるのは本当にありがたい。僕は速攻で着替えると、起きてから約30分ほどで家から出発することができたのだ。

集合時間の5分前、待ち合わせ場所の駅のロータリーに着く。
先輩からはLINEが届いており、もう到着しているとのことだった。
僕はキョロキョロしながら、先輩の車を探す。
すると1台の車の 窓ガラスが開く。
「おはよう。ここだよ」
「あっ先輩。おはようございます、 ありがとうございます! 」
僕は先輩の車の助手席の扉を開く。
「ここ、いいですか」
「 もちろん。座って座って」
「ありがとうございます」
僕は もう一度御礼を言いながら、シートに深く座り込んだ。
「じゃあ、いくよ」
「はい」
先輩は周りに車がいないことを確認するとアクセルに一気に踏み込み、颯爽と車を出発させて行った。
「ちょっと 急いでてね。せっかく君を連れて行くのに、釣る場所なかったら困っちゃうからね」
僕は先輩の横顔をちらっと眺めてみた。上機嫌でニコニコしている。
先輩は 早く釣りしたいんだろうな……そうとしか思えない表情だった。

早朝ということもあって道はかなり空いている。僕と先輩を乗せた車は快調に進んでいった。
「あと10分ぐらいで着くよ」
「 はい、わかりました」
先輩が僕を連れてきたのは、とある釣り公園だった。
駐車場は早朝にもかかわらず、すでに7割ほどは埋まっている。
「 結構混んでるね」
先輩はそう言いながらも、はやる気持ちを抑えきれないようで、急いでトランクを開ける。釣具の準備を始めた。
「先輩、僕もなにか手伝います! 」
「ありがとう、じゃあこれ持ってってくれないかな」
僕は先輩から折りたたみの椅子と大きなクーラーボックスを受け取り、肩に引っ掛けた。
「じゃあ行こうか」
先輩も釣り竿のケースや道具箱などを持ち、釣り場へと速足で向かう。

数分もすると 、目の前に真っ青でどこまでも続く海が広がった。
その迫力に 僕は圧倒される。
「おお……」
僕の感動をよそに先輩はどんどん歩いていく。
「あっ」
僕が景色に心を奪われている隙に、先輩はかなり遠くまで行っている。
「や、やば……」
僕は走って先輩の背中を追いかけた。
先輩の歩いてきた道筋をたどると、海際の手すりに沿って釣り人が等間隔に陣取っているのが見えた。
ああ、こうやって場所取りするんだな。先輩はこのことを気にしてたんだ。僕は改めて感じた。
ようやく追いつくと、突然先輩が立ち止まる。
「よし、ここにしようか……」
先輩は荷物をがさっと置く。僕も担いでいたイスとクーラーボックスを静かに置いた。
「じゃあ、ちょっと見てて……」
先輩は道具箱の中から仕掛けを取り出し、釣り糸へと括りつけ、餌を釣り針へとつけていく。一連の動作を見ても、何をしているのかはよくわからない……
そう思っていた次の瞬間、先輩は大きく振りかぶり、海に向かって竿をしならせる。「ビュン」
竿が空気を切り裂く音が聞こえると、仕掛けとハリが遠くへと飛んで行った。
「見てた? 」
「はい、見てました」
「そこにある仕掛けと釣り糸につけて、餌をハリにつける。そして、海に向かって投げる。これだけだよ。」
「……と言われましても」
「あっ、そうだよね」
僕は固まったまま動かない。先輩は竿を柵にたてかけると、これまでの動作をひとつひとつ丁寧に教えてくれた。初めのうちは全くうまくいかず、仕掛けもすぐ手前で落ちてしまった。しかし、何度か続けているうちに少しずつ距離が飛ぶようになった。
「先輩、まだ魚は釣れてないですけど、釣りって楽しいですね」
僕は思わずこぼす。新たな趣味になりそうな予感がする。そんな気さえしてきたのだ。穏やかに揺れる海面を眺めていると、先輩が口を開く。
「そう、楽しいんだよ。楽しいが続くんだよ。一緒にやるのも楽しいでしょ? 」
「はい!先輩に誘ってもらってよかったと思ってます! 」
「ありがとう。釣りという娯楽にお金や時間を使う。心地よい潮風にあたりながら、ぼーぅっと海を眺める。そして、釣りを通して生き物との対話を楽しむ。こんなこと、他ではなかなか経験できないよね」
「は、はあ……」
先輩は何が言いたいんだろ。僕が不思議に思っている間にも、先輩はまた餌を入れて釣り竿を振った。

「同じお金を使うことでも、モノを手に入れるだけでないよね? 」
「そ、それは……」
そうきたか。僕が口をモゴモゴさせていると、先輩は続けた。
「それに、モノは誰かとシェアできない……できたとしても一瞬だ。たとえば、この前キミが買った服。キミが買った喜びはキミにしかわからないし、キミの周りもわからない。でも、経験や時間なら、今の僕らみたいに共有することができる。楽しいや嬉しいという気持ちも分かち合うことができるんだ」
僕は先輩のほうを見ることができず、風に漂う釣り糸をただただ眺めるしかなかった。
「この前のキミの様子だと、週末はいつも買い物に行ってそうだったから。知り合いもいないようだし、たまにはいつもと違う経験もしてもらいたい。モノに捕らわれず、もっと広い視野で物事を見て欲しい……っていう先輩のお節介だよ」
「そ、そういうことだったんですか」
水面に太陽の光が反射して、キラキラと光っている。
僕はここで初めて先輩が釣りに誘った経緯を知ることになる。
「キミが心の奥底に抱えている物欲が他のモノに変われば、キミが見ている世界は変わる。モノはライフスタイルの一部を担うものであり、全てではないからね……」
「そうでしたか。そんな風に見えていたんですね……」
リールを巻いて、仕掛けを回収する。僕は頭の中に先輩の言葉を残しながらも、餌を入れて再度仕掛けを海へと放り込む。
チャポン。
遠くのほうで仕掛けが海面にダイブした音が聞こえる。竿のしなりの反動をうまく伝えられるようになってきた。
面白くなってきたぞ……
うごめく海面に集中していくと、先輩の言葉が徐々に遠のいていくように思えた。
と、次の瞬間。竿を握る僕の左手に今まで感じたことのないような振動がビビビッと伝わってきたのだ。
「せ、先輩! 手に。。。手に何かきました! これは何なんでしょう? 」
僕は初体験に慌てて先輩に声をかける。
「おお! 竿先を見てごらん! それは魚がかかっている証拠だよ! 」「ほ、ホントですか! 」
先輩に言われるがまま、釣り竿の先を見てみると……グイグイと何度も曲がっていた。
「おお、本当ですね! 」
かつてない興奮に僕の血潮がたぎる。
「これが、釣りの楽しさ、なんですね! 」
先輩は僕の隣で深く頷いた。
先輩が伝えたかったメッセージはこのことだったんだろう。
ここには、お金をだして買えるモノ・手に入れられるモノは何もない。
どこまでも広がる大空と穏やかに流れる海が全身を包み込む。
僕は今を目いっぱい楽しんでいるのだ。

新商品のワクワク。


僕は今とあるホールの中で、たくさんの真新しい服たちに囲まれている。
そう、今日は年に数回ある展示会の日だ。
展示会は春夏と秋冬の年2回行われ、半年先の生産と納品に向けて受注をもらう機会だ。今回が初めての展示会参加ということもあり、僕はワクワクしていた。ブランドの試作品が立ち並んでいるところなど、早々見れるものではない。加えて、新しいコンセプトの商品や新開発の機能や素材などを、消費者に先だって知ることができる。これもメーカーの特権だろう。

「うわあ、これもカッコイイなあ……」

手に取った商品をまじまじと見つめていると、社員向けの商品勉強会が始まった。実際の展示会の会場は10時。それまでの間に、主力商品やトピックの商品を頭に叩きこんでおく。ということである。

それぞれのカテゴリーで企画による商品説明が行われる。今シーズンのメインテーマを商品に落とし込み、機能やデザインに波及させていく。そして、開発秘話なども聞くことができた。
ここにある商品たちは、たくさんの人の想いを形にしているんだ……
僕は説明を聞きながら、さらに胸を躍らせた。
これが、メーカーの生命線、商品企画、モノづくりだ。
僕の心は次第に熱くなる。今はまだ無理でも、いつかあの場所にいきたい。淡いあこがれを胸に、トピックとなる事柄を手に持ったカタログに書き込んでいった。

企画の説明が一通り終わると間も無く、開場の時刻が迫っていた。それに気づいたとき、僕の緊張感が一気に高まる。
僕にも担当のお店があったからだ。人生初の展示会の接客がここから始まる。僕は腕時計を見る。

「もう10時か……開場だ」

顔をあげると、入口の受付付近にぞろぞろとたくさんの人が入ってくるのが見えた。僕も出迎える準備をするため、入口に向かう。すると、田中さんが一緒についてきてくれた。
「初めてのことだし、なにかと心配でしょ? フォローするよ」
ここでも先輩のやさしさが身に染みる。
「ありがとうございます、助かります! 」
先輩の心遣いは本当に有りがたい。全力で甘えさせてもらおう。そう思って、担当先を待つことにした。
すると、見覚えのあるひげづらの男性が笑顔でこちらに向かって歩いてくる。
「はっ」
気づいた僕は、
「おはようございます! いらっしゃいませ! 」
僕は力一杯の声で、放った。
「社長、いらっしゃいませ」
つい先日先輩から引き継いだ専門店のオーナー。隣で先輩も一緒だ。

「おお、二人で僕を出迎えてくれるなんて……さぞかしすごい新商品があるんだろうねえ」
「社長、もちろんご紹介させていただきます! 」
僕は自信を持って答えた。
「それは楽しみだねえ、はははは」
「では、社長。お荷物をお席に置いて頂き、先に商品説明にうつらせていただいてもよろしいでしょうか? 」
この辺の流れも、すでに先輩から聞かされている。ここまでは順調だ。 「ああ、もちろんだとも」
「ありがとうございます、それでは空いている席へご案内します」

広い展示会場と言えど、商談用の席の数は限られている。時間が経てば、あっという間に一杯になってしまうのだ。僕は早足で席を探しに行く。まだ開場から間もないためか、簡単に席が確保できた。

「社長、こちらへどうぞ」
「ああ、ありがとう」
「貴重品は念のため、お持ちください」
「了解」
社長は椅子の上にどさっと鞄を置いた。
「社長、荷物が多い中、ご来場ありがとうございます。今回は泊りですか」先輩が声をかける。そんなところまで僕は気が付かなかった。さすがとしか言いようがない。
「おお、そうなんだよ。今回の来阪で一気に色々なところを回ろうと思ってね。2泊3日の最終日なんだ、ここは」
「ありがとうごさいます。では、お疲れのところですが、弊社の新商品を是非楽しんでいってくださいね」
「ああ。しっかり見させてもらうよ」
社長は嬉しそうにたくわえたあごひげを触っている。
「じゃあ、あとは頼むよ」
先輩は僕の目を見て、アイコンタクトを送った。
僕は大きく頷き、社長を先導する。

「では、社長。まずは今回の展示会のメインテーマからご説明させていただきます。こちらです」

僕たちは入口にある造作へと歩いていく。モノを言わない服たちに、僕らがメッセージやストーリーという命を吹き込む。こうして初めて新商品の価値を顧客に伝えることができるのだ。
実際に手にとって説明を続けていると、本当に魅力的な商品が多いことに気づく。 商品の表裏のデザイン・カッティング・色・素材の光沢感。どれをとっても僕の物欲を刺激するものばかりだった。時折、ユーザー目線が出てしまう……これらが半年後店頭に並ぶことを想像すると、期待に胸が膨らんでくる。

「新しいものは全て良いモノとは限らない」
先輩は以前言っていたが、
「新しいものこそユーザーの心を躍らせ、着用した未来をより豊かにする」のではないだろうか。 僕は今、それを自身で体現中だ。現に、 商品説明をしながら僕は心を躍らせている。
果たして、この服を着た僕はどんな気持ちになるだろう、僕の人生にどんな影響を与えるだろう。そんな風に想像している。

僕は1点1点、想いを込める。ここでしっかりで価値を伝えられなければ、その先の消費者にも価値は伝わらない。手を抜くわけにはいかない。そう思って僕は必死に商品説明を続ける。

「頼もしくなったね……」

先輩の小声が背中から聞こえたような気がした。

<4>に続く……


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