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サラバ! 物欲 <4> (創作大賞 お仕事小説部門)

変わりだす物欲


あれから数年後、 僕はまだ狭いワンルームの寮に住んでいた。

そして、今まで目を背けていた現実を目の当たりにすることになる。
先輩の必死の説得や試行錯誤も虚しく、また僕は物欲に支配された。
欲望の赴くまま大好きな服やスニ―カーを満足できるまで買い続けた。
結果はご想像の通りだ。
クローゼットのハンガーパイプは服の重みで大きくしなり、今にも壊れそうになっている。
気がつけば玄関に陳列していたスニーカーたちはあふれかえり、靴箱は押し入れの中を占拠するまでのおびただしい数にまで膨れ上がっていった。
今のこの状態になってやっとわかった。

「もうこれ以上家の中には入らない…… どうにかしないと」

さらには、立て続けに買った服やスニーカーでも、ほとんど手にすら取ってないことにも気づいたのである。
「もしかして、必要以上に買っていたのかな……」
つぶやいた瞬間、 僕の脳裏に先輩のあの言葉が蘇ってくる。

「新しいものが全て良いものとは限らない」
ということだ。

僕は新しいものをどんどん買い続けた結果、 全てのものを、満遍なく使うのは難しいということにも気づく。
この状況をもっと理解するためには、自分の行動を分解するのが必要なんじゃないか……そう思った僕は、モノを買うときに自分の感情がどんな風に動いてきたかを、近くにあったチラシの裏に書き出してみた。

モノを見る。購入後の未来を想像する。ワクワクする。欲しくなる。買う。モノを手元に得る。満足する。ここまではいつも通りだ。
でも……これで十分に満足できていないから、また買っちゃうんだよな……
僕は自らがしてきた行動を振り返った。となると、まだ先があるな……

ボールペンをくるくるとまわし、更に考えをめぐらしながら、玄関のスニーカーたちを見つめた。そのまま何秒間か凝視した後に、はっと気づく。

「そ、そうだ。買ったときは凄く気に入って満足するよな。でも時間が経つと、自分のモノがあるということが当たり前の状態になってはいないだろうか。先輩が前に言っていたシューズクロークとは逆だな。当たり前になってしまったから、また他のモノがまた欲しくなるんだ……僕はムゲンに繰り返していくこの迷路の中をさまよっていたのでは……」

僕は、モノというオアシスを求めて、乾いた体を引きずりながら歩いていく。しかし、オアシスの正体は蜃気楼であり、幻。僕の心は一瞬潤うも、すぐに乾き、また実像のないモノを求めるのだ。
今気付いたからよかったものの、気づかずにいたら無間地獄に陥るところだった……僕は背筋に嫌な汗が流れるのを感じる。

次に僕の脳裏をよぎったことは・モノが欲しいはどこから来るかということだった。生活をよりよくしたい。自分をもっとよくしたい。もっと便利に、もっと時短に、もっと簡単に……これらは今の状況よりももっと良くしたいという感情ではあるが、同時に今の状況に満足してない、今の状況では物足りない、ということから起こる欲求でもある。この想定が正しいとなると僕は常に何かが足りていないという状態が続いていたのではないだろうか。

僕が本当に欲しかったものは一体何なんだ。別に生活に困っているというわけではないし、新入社員ではあるが、ちゃんと仕事もしている。友人や家族にだって恵まれている。モノ以外に何が……いくら自問自答しても答えは出てこない。これには全く見当はつかなかった。

そして、自分が発した「必要以上」という言葉になんとなく引っかかりを感じた。 何も考えずに「必要以上に買っていた」とは言ってみたが……

必要以上、必要以上……

そうか、分かったぞ。 僕は必要と欲しいという感情をごっちゃにして考えていたのだ。そもそも、「欲しい 」と「必要」は全く違う。
「欲しいから買う」と「必要だから買う」は似ているようで違う。
もしスニーカーや服を必要な分だけ買うんであれば何十足・何十着ももいらないだろう。でも欲望には際限はない……
僕は「自分にとって必要で欲しい」と感じていたモノが、ただ欲しいだけだったことに気づく。

なんてことだ……自分を満たしてきたのは本当にシンプルな感情。おもちゃを欲しがるような無邪気な子供のような感情だったのだ。
僕は今一度、スニーカーのコレクションと向き合う。
一足一足をじーっと見つめながら、自分の感情がどう揺らぐかを確認した。手元に置いておきたいもの。最近履いたもの。全然履いていないもの。全然入っていないものの中で、もったいなくて履けないもの。趣味思考が変わって履かなくなったもの……これらを判別していった。
消去法で最後まで残ったのが、「必要ではないスニーカー」ということになったのだ。僕は改めてそのスニーカーを手に取り、店で見た時のように正面・横・斜め・裏などをじっくり見てみた。
いくら時間をかけて眺めてみても、感情は全く揺らがない。
「よし。じゃあこのスニーカーをひと思いに売ってしまうか」
かわいそうだけど、もうこの靴には未練がない。僕の決意は固まった。

週末、つい先日行ったスニーカーショップにまた行くことにした。
玄関のシューズラックから例の靴を取り出し、紙袋に乱暴に入れる。
1足分スペースが空くことだし、高値で売れたらもう1足買っちゃおうかな……淡い 期待を抱きつつ、玄関扉を開けた。
関西でスニーカーを売るというのは、実は今回が初めて。関東と関西で買取価格が変わるわけではないが、なぜかワクワクしていた。

前回ここに来た時と目的は全く違う。今回はスニーカーを売りに来たのだ。 それでも僕は大好きなスニーカーを手に取ることができるという喜びで店に行くのが楽しみで仕方なかった・。

電車に揺られ20分。徒歩で10分。堀江のショップにたどり着いた。僕は店内に入ると真っ先にカウンターに向かう。
「すいません、買取ってお願いできますか? 」
僕は紙袋の中からスニーカーを取り出し、カウンターの上に置いた。
店員は、僕の声に気づくと表情を変えないまま答えた。
「あーはい。大丈夫ですよ。こちらに必要事項をご記入の上、お待ちくださーい」
そう言って、1枚の紙を僕の前に差し出した。
僕は言われるがまま、住所・氏名・電話番号を記入し店員へと戻す。
「ありがとうございます。では、査定に入りますので店内で少々お待ちください」
「わかりました」
店員は僕に番号札をわたす。 番号は2番だった。そして店員はパソコンの画面と向き合いながら、スニーカーの状態を様々な角度から確認していた。
僕はその姿を横目で見ながら、店内をフラフラ歩いていく。

目的がいつも違うからか、物欲が湧いてこない。
喉から手が出るほどの「欲しい」という激情に突き動かされることもない。一体何故だろう。

しばらくすると、店員より声がかかった。
「査定でお待ちの番号札2番のお客様、 お待たせいたしました! 」
僕はその声を聞いてすぐにカウンターへと向かった。
「それでは査定の結果ですが、1900円になります」
「えっ……」
正直言って想像以上に安い。僕が買った時の値段よりも 1/5以下の 値段となっていた。こんな値段で新しいスニーカーになんて買えるわけない。

さあ、どうする…… 僕は 迷いに迷った。手放すのは惜しくないと思っていたが。これほどの値段とは。僕が固まっていると、
「いかがなさいますか? 」
店員が催促するように言う。
せっかくここまで来たのだから、まあいいか。
「……それで、お願いします」
僕は決断を下す。
「はい、それでは1900円の渡しです」
チャン、レジの開く音が聞こえる。

1000円札、500円玉、100円玉がトレイの上に乗って僕の上に現れる。

これがあのスニーカーの価値か……履かなくなったスニーカーがこうしてお金になって僕の手元に戻ってくる。何とも言い難い気持ちになった。
僕は出てきたお金を財布に入れる。
「ありがとうございました! 」
店員の声が少し元気になったような気がする。良い仕入れだったのだろうか。僕はペコリと挨拶をして、最後にもう一度スニーカーを見た。
「じゃあな、元気で……」
心の中で言葉を交わし、店を後にした。

僕は家に戻り、シューズラックに目を向ける。
ポツンとひとつだけ空いたスペース。
喪失感やその場所をまた埋めたいという気持ちは不思議と生まれてこない。何かが僕の中で変わり始めている。そんな気さえしてきたのだ。

ネットの購入履歴からみる思考の変化



光陰矢の如し。
月日なんてものはすぐに時間が経ってしまう。
実は、僕にも家族という存在ができた。結婚と同時に、狭いワンルームの寮から引っ越す。更には長男・次男と家族が増えた。
僕にとって大切なモノがこの数年で一気に増えたのだ。
それに従い、スニーカーや服の増加は段々と落ち着いていった。自然の流れと言ってしまえば、確かにそうかもしれない。僕にとって大切なモノの価値観が変わっていったのだろう。今なら先輩が言っていたことがわかるような気がする。あまりにも時間がかかってしまったけどね。

僕は苦笑いをしながら、スマホを見てみる。
そう言えば、いつからネットで注文してないんだっけ……
おもむろにサイトを覗く。

物欲を刺激してしまうので、あえて見るのを避けていたというわけではないが、最近は全く見なくなっていた。スニーカー収集をしていた時の買い方は、もっぱらネット注文がメイン。わざわざ店にいかなくてもいい、形やサイズも大体わかっている、注文ボタンを押すだけであとは待つだけでいい。本当に購入までのハードルが低く、ポンポン買っていた。
ネット注文の面白いところは、購入履歴が残るところ。いつどんなときに何を買っていたのかが一目でわかる。購入履歴もある意味、自分がどう生きてきたかという軌跡でもある。

面白い、実に面白い、どんどん過去を遡っていくとさらに面白いことに気づいた。2006年2足、2008年2足、2009年1足、2010年1足、2012年1足、2014年4足……こうして2014年を最後にネットでのスニーカー購入は途切れている、
とは言え、2006年からの9年間で11足、これ以外に店舗で買っていたことを考えるとやはり異常な量だ。だが、2015年以降の履歴は、釣り道具や子ども用品、など購買動向がどんどん変わってきている。
これがまさに、今まで一番の関心事だったスニーカーや服などのモノ消費から、コト消費に変わった証拠だろう。時折見られる子どものオモチャやキャラクターグッズ。目を閉じれば、当時の映像が頭の中に浮き上がってくる……僕は思わずニッコリしてしまった。ネットの注文をこんなに風に楽しめるとは思っても見なかったなあ。しみじみ思う。

モノを買うというシンプルな行動が変わっていった裏には、僕の思考そのものが変わったということもあるかも……どんなふうに変わっていったか、ちょっと紐解いてみようか。

僕が欲しいモノは、形あるモノから、形ないモノに変化していった。
ネットの履歴でもわかったように、こんなにも簡単に物欲がなくなったのはなぜだろう。
モノを見て欲しいと思うのは、手に入れたあとの未来にワクワクするからだよな。素敵な服やスニーカーを身に着けて、素敵な自分になりたいという願望を叶えて、心を満たす。もし自分の中に満足というコップがあったとしたら、これまではモノを買うことで満たしていた。
実は、その満足って……これっぽっちもなかったんじゃないのかな。自分では一瞬満足するけど、買うだけじゃコップは一杯にならないんじゃあ……水たまりの水は気づいたら蒸発するように、コップにちょっと溜まった満足なんてすぐどこかに消えてしまう。だから、もっともっと!って買っていた。自分を満足させられるのは、物欲しかない……と盲信していたんだろうなあ。
それと、欲しいという気持ちが最高潮に達すると、買うという決断と行動に変化する。そして購買行動には必ず目的がある。僕の場合、目的は物欲であり、頭で思い描いたワクワクに少しでも近づくためだった。

でも……スニーカーや服を手に入れて、「〜したい、~になりたい」という気持ちを満たすには不十分だった。「~したい、~なりたい」は今の自分の状態から、さらに上の自分を目指すことを意味する。つまり、これらの気持ちは、自分の外側を変えるだけではなく、心の成長を伴って初めて満たされるモノ。ゲームのように、何かを手に入れるだけでレベルアップ出来るものではない。外側が変わってレベルアップしたつもりになっていた。

違うだろ……モノが増えたというだけで、僕の現実はちっとも変わってないじゃないか。思わず天を仰いだ。

そう。僕の中身は成長したわけではなかったのだ。
「はっ、コレだったのか……ずっと抜け落ちていたのは……」
僕は愕然とする。
でも気づくことができてよかった。

一旦モノへの気持ちが薄れてしまうと、僕が普段の生活で本当に必要としているモノ以外は、道端に転がっている石と同じような感覚となった。
ただそこにいるだけの存在へと変貌したのだ。そうなると、モノを言わぬコレクションたちに残された役割とは何?と問いかけてみたくなる。
彼らは残念ながら何も生み出さない。我が家に黙って居座り、スペースを取るだけの代物だ。

一方で残されたモノの中で、使い続けたモノは、僕の生活にフィットしたモノ。僕にとって本当に必要なモノだ。それは、趣味趣向が変わっても、時代が変わっても色褪せないモノ。逆に、一時の感情に踊らされて買ってしまったモノは、見事に時代と自分の気分に取り残されていく。流行に左右されないモノが生活できるレベルでそろっていけば、それ以上に欲しいとはならない。困ることもない。

ただ、この前スニーカーを売りに行ったときのように、不要品に秘められたアレを甘く見てはいけない。
アレとは……役割を終えたものでも、お金に変わる可能性のことだ。僕にとって価値がなくても、他の人から見れば価値があるものかもしれないから。自分の定規だけで判断するのは、勿体無い。自分がもう要らないと思っても、市場に判断を委ねてみる。反応を待つ。モノの可能性という種を、市場という土壌に撒く。そうやってモノを循環させていくことで、本当に必要だと思っている人の手から手へ渡っていくのだ。
僕が売ったスニーカーも今頃、誰かの足元を支えていることだろう。目を閉じて想像すると、笑みがこぼれてきた。
ああ、そうか。モノを手放して、モノを売る。その対価はお金だけじゃない。不要なモノでも、必要な人のもとに届けば、誰かに喜んでもらうことだってできるんだ。

そのとき、僕の頭の中にひとつの言葉がよぎった。
「在庫や商品はお金と一緒」
新入社員の頃、しつこく言われた言葉だ。袋に入った商品であっても床には置かない。シャツの襟元からハンガーを入れない。商品はとにかく丁寧に扱うことを耳にタコができるほど叩き込まれた。
言い方をかえれば「在庫はお金」だから大事にしろ、大切にしなさい、という意味を僕に伝えたかったに違いない。
その教えが、今でも僕の中に染みついていることにようやく気づく。それは例え中古品であっても、同じだ。今ここにいる服やスニーカーたちはモノの姿をしたお金なんだ。

僕は部屋のクローゼットをガラガラと開けて、静かにかかっている服たちを見てみる。彼らは僕を喜ばせてくれる。でも……仮に家族に渡しても、親しい友人に渡しても、同じように喜んでくれるとは限らない。ならば、スニーカーのようにお金に変えてみてはどうだろう。お金なら、着る人を選んでしまう服よりもずっと選択肢は広がる。お金は、自分の心を満たすことに使ってもいいし、誰かを喜ばせることに使ってもいいだろう。

このように物欲がなくなって、僕の思考は一気に変化していった。モノへの考え方、お金への考え方もかわってきたのだ。思考が変われば、行動も変わる。不意に湧き上がる欲求も思考でコントロールできるようになってくる。僕の中の物欲という魔物は小屋のなかで眠ったまま、もう何年も出てきていない。

<5>に続く……


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