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共働き子育て

 いま共働き子育ては7割を超えるそうだ。だが娘を生んだ1987年、周囲に居なかった。私は電電公社の研究所勤務、妻は東芝本社勤務の総合職、共働きを続けるつもりで同じ通勤時間の所に家を買ったら妊娠した。
 妻の産休は、出産前後合わせて4ヵ月。認可保育園は少なく、さらに0歳児は激戦。無認可で待機するのが一般的だった。
 生まれた時点で産休の残りは1カ月と少し。馴らし保育に娘は動じず、親の子育て馴らしだった。夫の産休など、当時は概念すらなかった。
 朝は私が連れていき、お迎えは妻が基本。それまで私は朝7時に出社して終電、土日も出社していたが、組合役員に選ばれたことで定時にできた。ただNTTになる前夜。組合は民営化に反対していたから、デモやビラ配りの動員もあった。
 認可保育園は生まれる前に申請できない。無認可に通いつつ申請すると、役所の人が家を訪ねてきた。「保育できない環境か」確認するためだ。そのうえで抽選。認可に入れず2歳まで無認可の子もいた。私もそれでいいと思ったが、無認可保育園の保母さんたちは、認可への転園を勧める。要員も施設も違うことを知っているのだ。
 翌年4月から無事、認可に移ることができたが、紙おむつが禁止だった。布おむつを持参し、補充しておく。この在庫管理がプレッシャーで、足りない夢をよく見た。研究所の所長表彰の賞品に洗濯乾燥機を選んだのも、おむつを夜乾かすため。
 紙おむつが許されたのは、娘が卒園してすぐ。でもまだ持ち帰りだった。最近、保育園で処分することになったそうだ。お迎えの荷物が少し軽減される。
 駅につながるデパ地下に寄ってお迎えしたら、デパートの紙袋を保母さんに見つかり、嫌味を言われた。デパ地下に寄る分早く迎えにと。そんなこともあって、食材の宅配を契約した。
 バギーを保育園に預かってもらうことはできなかったから、子供を抱っこし、園の荷物を持って買い物するのは大変だった。
 18時までにお迎えするのは不可能、夫婦で園長に相談すると、「家政婦募集を電柱に貼りだしなさい」というアドバイスだった。定年間近の園長の、これは実体験だったのだろう。しかし、電柱を見て応募してきた人に1歳の娘を託す気にはなれない。無認可の保母さんにお迎えしてもらい、無認可保育園の終了後は保母さんの自宅で預かってもらった。3重保育である。
 19時まで延長になっても、妻はヨーロッパとの対応で遅くなることが多かった。
 「きょうのお迎えできる?」
 妻からポケベル。二人とも難しいときは実家に相談した。私の実家は30分、妻の実家は1時間と少し。頻繁に頼むわけにはいかない。そこで、ベビーシッター会社と契約することにした。週2回の費用は妻が負担し、私は住宅ローンを。
 娘の離乳食が終わると、食事を作ってもらえないか、家政婦協会を訪ねた。週1回、家政婦さんに作ってもらえるだけで大助かり。ご近所の方で、娘を孫のように可愛がり、食材の買い出しからやってくれた。
 それならとベビーシッター会社の社長を訪ね、食事を作れる人を探してもらった。シッターさん、家政婦さん、それぞれ得意レシピがある。娘は日替わりのメニューで育てられた。
 小学校では学童から帰宅、シッターさんがくるまで一人だ。そこでセコムを契約した。泥棒より、ガス漏れが心配だった。
 友達を家に連れてきて、おやつを作るようになった。シッターさんが着くと、台所が小麦粉だらけになっていたこともあった。妻が帰宅すると、友達が後片付けしていたこともあった。
 私も妻も小中高と公立だった。娘も公立でいいと思っていた。ところが、ゆとり教育の弊害を実感し、いっそ中学から留学させてみよう、と夫婦で相談を始めたのは4年生のときだった。そこで、英語を教えてくれるシッターさんを探してもらった。
 留学を斡旋する業者に相談し、オーストラリア、カナダ、イギリスを検討した。中学から留学させるなら、寄宿学校の歴史が古いイギリスがよいと勧められた。
イギリスでは、植民地に赴任するために寄宿学校が普及した。インドや中国では十分な教育ができない。そんなイギリスの寄宿学校が、いまは逆に世界から積極的に子供を集めている。子供のときから世界を知るため、あえて様々な国から生徒を少しずつ集めているのだ。(娘が留学した学校は、日本人は基本一学年に男女一名ずつとしていた)
 寄宿舎に東欧、アフリカ、アジアからの子供たちが生活している。地元イギリスの子でも、あえて寄宿させる家庭もあった。
 祝日は寮を出て後見人の家に泊まる。イギリスではそれが決められていて、学校が後見人を斡旋してくれる。親戚の子のように料理を手伝い、犬を散歩させ、家族のパーティーにも出る。
 大学では、寮の友達と古い家を一軒借りて共同生活を始めた。大学選びから住まい探しまで、もう親の出番は全くなかった。
 いま夫の産休取得ばかり議論されるが、日々夫婦で協力することが大切だと思う。いや、二人だけで頑張る必要はない。あらゆる手段を総動員すればいい。子育てしながら、私はシリコンバレーに支店を作った。妻はキャリアカウンセラの道を選んで東芝を辞め、大学講師も務めた。

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