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ダウン症こうた爆誕!エピソードゼロ

「耳が少し低い位置にあります。それと心臓で血液の逆流が少しありますね。あと小指の関節がひとつ少ないです。それから鼻の骨がないですね。ほら、ここの根っこのところです。わかります?まあ、これらのことを踏まえた上で、お腹の赤ちゃんはほぼ間違いなくダウン症だと思われます。」

情報量の多すぎる女医の説明に、妻の目からはとめどなく涙が溢れ、私はどこか他人事のように、ただ茫然と丸椅子に座っていた。

本当はもっと詳しい説明があったはずだが、記憶をたどってもこれ以上は思い出せない。

人は、あまりにショックな出来事があると、その衝撃からわが身を守るために、あえて記憶をなくすという防衛システムが備わっているらしい。

知らんけど。

「すぐに決断する必要はありません。次回の診察までにどうするのかをしっかり夫婦で話し合ってください。どちらにしても私たちは、あなたたちのご意見を尊重します。」

今まで何十人、何百人という人たちに同じような説明してきたんだろうなと思わせる慣れた口調であったが、機械的な冷たさはなく、どこかこちらに寄り添ってくれているような温かみを感じた。


「どうするのか?」というのは、
産むのかい、産まないのかい、「どっちなんだい!」ということである。

そんなこと急に言われても困る。筋肉ルーレットで決められたらどれだけ楽だろうと思ったが、そんな大胸筋まかせの選択はなんだかバチが当たりそうで怖い。

妻と話し合いをする。

いくら話しても結論には至らない。

いつも最後は、「この子にとって、生まれてくる方が幸せか?生まれてこない方が幸せか?」で暗礁に乗り上げる。

「あんたはどうしたい?」と、お腹の赤ちゃんに聞くことができれば、どれだけ楽だろうと思った。

うんうん悩んでいると、「そういえば、ダウン症のことちゃんとわかってへんな」ということに気づく。

“彼を知り、己を知れば、百戦してあやうからず”と孫子も言っている。

知らんけど。

おもむろに、パソコンを開き、検索する。

~ダウン症の臨床像~
知的障害、先天性心疾患(50%)、低身長、肥満、筋力の弱さ、頚椎の不安定性、閉塞性睡眠時無呼吸(50~75%)、眼科的問題(先天性白内障、眼振、斜視、屈折異常、60%)、難聴(75%)がある。新生児期に哺乳不良やなんたらかんたら……アブラカタブラ……


そっとパソコンを閉じる。

とりあえず深呼吸をしてみる。

うん、なんだか大変そう。


「21番目の染色体がなにをやっているところかよくわからんが、とにかくそれが通常2本のところ3本あって、ちょっとした知的障害があるとかないとか……」というふわっとした認識しかなかった私にとって、この合併症のオンパレードには圧倒された。

ダウン症に関する書籍も、何冊か買ってみる。

もう、なにが書いてあったのか記憶がおぼろげではあるが、本を読み終えた後の、なんとも言えないどうしようもなさ感だけは、はっきり覚えている。

このままでは、本当になかやまきんに君を召喚することになりかねない、という精神状態にまで追い込まれた私に、天からの啓示が訪れる。

「そうだ、世間の声、聞こう。」

どこかの鉄道会社のキャンペーンのノリでふらっと出かけ、数人の知り合いに話してみた。

「あの~、実はお腹の赤ちゃんがダウン症って診断されたんですよ~」

なるべく、相手に気を使わせないよう、軽めのトーンでジャブを打ってみる。


Aさん「なんであんたみたいないい人が、そんな目に遭うんや」

Bさん「あんまり人には言わんほうがええよ」

Cさん「・・・」(涙目で膝から崩れ落ちる)



「思ってたんとちがう」



もっとこうなんか、「ダウン症の子は天使だって言いますもんね~うふふっ」みたいな人が1人ぐらいいたっていいじゃないか。

もっとこうなんか、「大丈夫!人生で乗り越えられない壁はやってこない。君ならできる!」みたいなうざい自己啓発オタクのような人がいたっていいじゃないか。

いや、励ましや慰めの言葉が欲しかったわけじゃない。

ただ、ダウン症でもこの世界でなんとかやっていけるんじゃないか?という、わずかな希望を感じたかっただけなんだ。

その後も、何人かの知り合いに話してみたが、似たような反応ばかりだった。

もう、これ以上世間の声を聞いても仕方がない。

あと1人だけで終わりにしよう。

もう、ふらふらの状態で、かろうじてへなちょこパンチをDさんに向けて打ってみる。

すると……

返ってきたパンチが強烈だった。



「えっ?もちろん中絶するんやろ?そんなもん生まれてくる子がかわいそうや!!」



「ポリコレがなんぼのもんじゃい!」と言わんばかりの強烈なストレートを躊躇なく放ってきた。昨今の議員パーティーでも聞けないような問題発言.。
ここまでくると、むしろ清々しさを感じるほどである。


生まれてくる子がかわいそうや……

生まれてくる子がかわいそうや……

生まれてくる子がかわいそうや……

生まれてくる……生まれてくる……



ぶちっ!!!




私の中のどこか奥のほうで、大切な何かが切れたような音がした。刹那、今までにない感情がとめどなく溢れ出す。



「はぁ~?!生まれてくる子がかわいそう?!そんなもんなんであんたにわかるねん!こっちは毎日毎日、考えて考えて、悩んでも悩んでもわからんのに、親である自分がこれだけ時間をかけてもわからんのに、なんで他人のあんたがわかるねん!あぁん?!!」



もちろん、声にだしてはいない。
怒りと悲しみとが入り混じった、エネルギーの渦のようなものが言葉となって、みぞおちのあたりから込み上げる。

その瞬間、目の前がパッと明るくなった。
はっきり答えが見えた。

「あ~なるほど。確かにあんたのところに生まれるんやったらかわいそうやわ。そんなふうに思う親の元に生まれる子はかわいそうや。よかった。この子はうちに来て正解やわ。だって僕たちはこの子をダウン症だということだけで、かわいそうやなんて思わない。よかった、うちに来て。よかった、うちの子で。よかった……ほんまによかった……」


「よっしゃ、バッチこい!!」


こうしてめでたく、わが家にかわいいかわいい息子が爆誕したのである。

今となっては、ダウン症だということを忘れてしまうくらい、当たり前のように、ただただ家族の一員として平凡に暮らしている。


ちなみに、あのとき、どれだけ考えても答えの出なかった問い。

「この子にとって、生まれてくる方が幸せか!生まれてこない方が幸せか?」

いま、本人に「生まれてきてよかった?」と聞いても、息子はその意味を理解できない。

よって未だにその答えはわからない。

しかし、ひとつだけたしかなことがある。

それはいつも、息子が家族の誰よりも笑っているということである。

その笑顔がすべての答えなのかも知れない。


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