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カラダからの手紙 #未来のためにできること
「無事これ名馬」という格言がある。
病気やケガもなく、無事に走り続ける馬こそが名馬である。これは決して生まれつき身体が強いということではない。アクシデントが起こる遥か手前にそれを察知し回避する。結果、その身には何も起きない。
それが無事これ名馬たる所以だ。
聞いたことはないだろうか。
なんとなく嫌な感じがして電車を一本遅らせたら、
いつも乗っていた電車が脱線事故を起こした。
なんとなく身体がしんどいので仕事を休むと、
通勤途中にあるビルがガス爆発を起こした。
これらは身体からのメッセージ、すなわち身体が発する危険信号を「なんとなく」という形で受信しているのだ。
「2050年までに二酸化炭素排出量を実質ゼロにする」というデッドラインが定まった。
なぜ私たち人類は、こんな危機的状況になるまでしかるべき対処ができなかったのか?
古代、狩猟採集をしていた頃、右に行けばトラに遭遇するかもしれない。左に行けば崖かもしれない。
このような環境で、身体感覚の乏しい者は生き抜くことができなかっただろう。
現代でも少し前までは、空の雲行き、肌にまとわりつく湿気、かすかな潮の香り、これらの感覚を総動員して「明日は雨が降る」と予感できた。
いま、目の前にある危機的状況を招いたのは、科学の発達に伴い、現代人が身体の発する微細な声に耳を傾けなくなってしまったからではないだろうか。
いま、我々は何をすべきなのか?
それを頭だけで考えてはいけない。
頭で考えると「二酸化炭素排出量は減少したが、貧困による餓死者が増加した」なんて事が起こり得る。
大切なのは身体で感じることだ。
目の前に二つの道がある。
右の道をイメージした時、のどが開くような感じがする。呼吸が楽なった。
左の道をイメージした時、胃が少し気持ち悪くなった。頭が重くなった。
よし、右にしよう。
このように何かを選択するたび、身体からの声に耳を傾ける。勘のいい人なら「なんとなくこっちのような気がする」と直ぐに判断できるだろう。本来、我々にはこのような能力が備わっているのである。
身体からの声を聴くことのできる感覚を取り戻す。
この原点に立ち戻ることが、いま必要なのではないだろうか。
未来のためにできること。
それは全身でいまを感じること。
いまを精一杯味わうこと。
その先にどんな世界が広がっているのかなんてわからない。
いまはただ、身体が発する小さな声に耳を澄ませていたい。
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