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悪童村 二

『目次』

【前】

 ──車輪の軋む音。
 これまで暗転していた視界に、まぶたを突き抜けて刺してくる光。あまりの眩しさに、ぼくは手でその日差しを遮りながら目を開けた。
 長いトンネルを抜けた先、車窓から見える巨大な山の風景。
 今まで平坦な森と田園だった風景に現れたそれは、影羅村一番の山、破斬魔はざま山だ。標高は二○○○メートルを越え、山巓に雪を被っている。これといって名物のないこの村で、異人まれびとを引きつける数少ない観光資源としても機能していた。昨今の戦争のせいでここを訪れる人は減ったものの、全盛期には毎年数千の物好きがここに訪れていた。
 かくいうぼくは観光客ではなく、単なる出戻りだ。年末も近くなった頃、一堂に会して過ごそうという実家からの書簡を受け取ったぼくは、仕事終わりに十年もの間戻らなかった故郷への列車に飛び乗った。しかし降り積もる雪に足止めを食い、退屈と連日の勤務によって蓄積された疲れが出たのか寝落ちしてしまい、車輪の軋む音で目が覚めると夜はすっかり明けていたというわけだ。
 久々の破斬魔山を見て感慨がなかったといえば嘘になるが、それでもぼくは自分でそれを否定せねばならない理由があった。今日ここを訪れたのは決して旧交を温めに来たのではなく、ぼく自身の過去にケリをつけるためだ。
 正直ここに来るまでに不安がなかったとは言いがたい。あの青春時代を経て、ぼくは自分の人生の歯車を修正するのに必死で、そのことに対して省みる時間は殆どなかった。だが、いざここに訪れるとなると、あの忌まわしい幾多の出来事を思い出し、暗鬱としたものが沈殿しているのがよくわかったのだ。
 列車のジョイント音──「ガタンゴトン」と鳴るあの音だ──を聞きながら、ぼくは天井に取り付けられた古い送風機を眺めていた。錆が浮いて今にも落ちてきそうな送風機は、この前世紀から走る骨董品を象徴していた。木張りの床といい、所々ほつれた網棚といい、既に限界が来ている。
『次は終点、影羅村。影羅村』
 車内放送が間もなく駅に着くことを告げる。それに合わせてぼくも荷物の諸々をまとめ、下車する準備を始める。
 列車はゆっくりと速度を落とし始めた。遠くで駅員が一人で雪掻きをしているのが見える。影羅村はこの国の僻地に位置する終点のため、割かれている人員はごく僅かだ。
 停止した車輌のドアが開く。冷気が頬を撫で、ぼくは少し体を震わせた。ぼくは首元に巻いたマフラーを顎まで引き上げた。季節はすっかり冬だ。
 車輌から降り、改札の方へと向かう。景色は十年前とほとんど変わりなく、この国──卍國スヴァスティカの旗が風に煽られてはためいている以外は特に差異は見受けられなかった。赤、青、紫、白の四色で日の出が象られたこの国旗は、今や新秩序の象徴として全国の至るところで見ることができる。
 駅舎は小さな木造の小屋で、改札も手動ときている。中でストーブの上に薬缶が置かれているのが見えた。そんなレトロな感じが人を惹きつけるのだと、いつだったか誰かが言っていたのを思い出した。
ひろ
 改札を出るとぼくを呼ぶ声がした。思わず心臓が鳴った。足元に踏みつけた雪が、しゃり、と音を立てた。
 嫌な予感というのは当たるもので、声のした方を見ればぼくの兄の貴樹たかきが、忌まわしい血を分かち合う者が、そこにいた。
 この寒朝にもかかわらず、兄は作務衣に下駄をつっかけて涼しい表情だ。十年前とは違い、艶のある黒髪を伸ばして後ろで結っており、精悍さと美しさの同居する美貌が光った。その傲慢な笑みが人を殺すことを、ぼくだけが知っている。
 ぼくは苦い顔をしていないだろうか。自分ではあまり確信が持てない。
 だが彼はそうでもなかったようで、ぼくに寄って来ると肩に手を回しニヤリと笑みを浮かべた。
「おかえり。まさか帰って来るとは思わなかった」
「すぐに出てくよ、こんなとこ」
「そう言うなって」
 じゃあ後は歩きながら話するか、そう言うと兄はぼくの背中を叩いた。ぼくは硬い顔のまま歩き出した。

【続】

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