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屈辱!メンヘラ体験!!

「のわぁー!」
 オレはナイフに掻っ捌かれた腹を押さえた。腹圧で中から飛び出てきた内臓と血が手の中でぬらぬらと滑った。
「ごふっ……」
 血を吐いた。
 誰かに腹を刺されるのはこれが初めてじゃない。よくあることだ。
 人には往々にして多様な才能を持つが、非凡なオレの非凡なそれは、どうやらある種の存在するを惹きつけることらしいと、この短い人生の中で悟っていた。
 それはメンヘラ。正式名称、位相外縁精神憑依体ハレーション
 そして今オレの内臓を引きずり出しているのもそんな個体の一つだった。
「し、しぬぅ!」
 その昔、恋人の腸で縄跳びをする歌があった。「そんなんできるわけねぇだろ」と散々にバカにしてきたオレだが、今現在そいつはそれを実証するために自前の縄跳びを拵えようとしていた。
「頼む……やめてくれ」
 しかし奴は言うことを聞かない。
「死んじゃう……」
 ぐえっ、とえずいて口から血塊を吐いた。白いシャツの襟元が真っ赤に染められていく。ついでに力の入らなくなった下半身の筋が緩み、失禁した。尿が制服の下を濡らし、ついでに糞が雪崩れ出てきた。血の強烈な臭いの中にあってそれは猛烈な不快臭を放ち、痛みとはまた別の回路から吐き気を催した。
 奴は仰向けになったオレの上に跨がると、血塗れの手で小腸と思しき内臓を引き出した。そいつを口に咥えてくちゃくちゃと咀嚼し、糞に口元を汚している。
「返せ」
 手を伸ばして自分のものを取り返そうと引っ張る。びょいーん。伸びた腸。
 しかし奴もそうやすやすと返す気はないらしい。顎でがっちりと咥え込み、離す気遣いはない。
「こいつは……オレんだ!」
 奴は不快そうに唸った。と思うと拳を形作り、オレの胸部へと叩き込んできた。
「ごふぅ!」
 口腔から血。吹き出て奴の顔にかかる。ついでに吐瀉物が口元を濡らした。
 貫かれたのは、心臓。大動脈、大静脈共に繋がったまま叩き割られた胸骨を開いてずるりと引き抜かれた。
「野郎……」
 オレは左右の手に腸を握ると、それを鞭の如く振るった。空気を裂く鮮烈な音。飛び散る血汁と糞。それは宙を束の間彩った。
 そしてそれは奴の首周りを周回し、やがてその輪は縮まった。
 これこそオレの狙いだ。オレは左右の手を思い切り外に引いた。腸で作られた輪があっという間に縮まり、奴の首を締め上げる。
「どうだ!」
 ぐぐっと音がし、締め付けられた頚部に皺が寄っていく。やがてそれは五円玉ほどの細さになった。
 パキッと頚椎がへし折れる音。
 その時にはもう奴の依代は完全に生命機能を停止し、全身に酸素を送り込むことが不可能になった上に神経が絶たれて自由が利かなくなり、狼藉は止んだ。
「どはぁ……」
 後ろ向きに地に倒れ込む。絶息感に眩暈がした。それもこれも心臓を破壊され、酸素供給が途絶えたからだった。
 なんとか勝利は収めた。だが、こちらの損害も並々ならぬものがあった。
 とりあえずは溢れたぬらぬらたちを詰め直さねば。傷を縫合するのは後だ。
「ふむ、これでも死なないか」
 知らない声だった。
「楽にしてくれるのか」
「んにゃ、そいつはお断りだね。貴様も人の子ならば自分の行く末くらい自分でどうにかすることだな」
 人影は路傍に廃棄された車両の屋根に右足をかけ、左足を投げ出した姿勢で腰掛けていた。立てた膝に頬を乗せて楽しげだ。
「じゃあなんでここにいるんだよ」
「見物さ。俺様は人が必死こいてもがくのが好きなんだ。その結果の良し悪しに関わらず、な」
「性格の悪い奴」
 吐き捨てた。そもそも初対面で距離感を誤っている。大体人様が困っていたら助けるのが人というものだろう。
 もっとも、人に非らずというのなら仕方あるまいが。
「何者だ?」
「そうだよそれだ。まずは誰何するのが先だろう。俺様は怪しい奴やもしれんぞ」
「それならまずは名乗れ。オレは暇じゃねぇ」
 垂れた腸をぶうんと振った。ああ、溢れた。また腹の中に詰め直しだ。
「くそ!」
 ぐいぐい。無理やり押し込んでいく。そのせいで開き切った傷口がもっと開いたのか、ぬらぬらがドバドバ出てきた。
「あーめんどくせぇ!」
 ヤケになって全て投げ出した。硬いアスファルトの上に内臓が奇妙なアートを描いた。
「やれやれ」
 人影は廃棄車両から飛び降りると、音もなく着地した。そしてオレの傍にしゃがみ込んだ。
 これまで夜闇に紛れてその仔細は窺い知れなかったが、近づけばそいつは人ではないことがわかった。
 発光する赤い瞳に塗炭を想起させる歯、覗いた首筋から頬にまで広がる血脈と彫りものと思しきスパイラル紋様は黒い衣服の中にまで続いていると思われた。衣服は黒いシャツの上に親の仇の如くポーチのついたベスト、そして瞳と同色のネクタイを巻き、締めに肩からカズラを下げていた。下身には裾口が極端に絞られたボトムスの上から斜めに垂れる腰布を巻いていた。
 とりあえずなんだかよくわからない格好である。
 人影はオレのそばでしゃがみ込むと、もそもそと内臓を詰め始めた。
「それで、俺様が何様かという質問の答えだが……端的に言うとエリクシーラーだな」
不死者イモータル?」
 人影は不快そうにその端正な顔を歪めた。
「あんな紛い物と同じにするな。俺様は偉大なる莱馘聯換らいかくれんかん技の祖にして霊薬師、異界の怪異を山と屠った莱馘一族の末裔莱馘連らいかくつらね様だ」
「ずいぶん偉そうだな」
「そうとも、俺様は偉い」
 尊大な態度を皮肉ったのだがうまく伝わらなかったらしく、連とやらは胸を張った。
 ざくっと腹に刺さる針。連の五指の間にに巨太な針が握られていた。ギラリと光るそれは針というより箸に近い。
「ぬ?!」
「動くなよ、傷口を縫合してやろう」
「不安だ…」
 連はキッとオレを睨んだ。
「俺様達エリクシールの薬師、わけても莱馘一族は身体医術に於いては一級の腕前を持つ。大船に乗った気持ちで安んじていろ」
 いいつつオレの腕にざっくり針が刺さっていたりする。
「おお…やらかしたぞ!」
「痛ってえええええ!!!!!」
 オレは叫ぶことしかできなかった。
「死ね!」
「エリクシールは死なない。身体の即時回復では人間を遥かに上回る。霊薬の恩恵というわけだな」
「黙れ。さっさと針を抜け」
「ぬう……」
 連は針を抜き、今度は真面目に縫合を始めた。その様はまさに神業。目まぐるしく動く手と針は予め定められていたかの如く動き、踊った。オレは不安でしばらく仰向けの状態から頭を上げて術の経過を見守っていたが、問題はなさそうだ。
「それで、今度は俺様が質問する番だ」
 手を動かしながらこちらを上目に見る連。
「それより手元見ろ手元」
「何を言う。俺様は莱馘一族の末裔──」
「それはもう聞いた」
「ふむ……」
 不満そうな面である。
「それより何だ」
 黙って下を向いた奴にこちらから聞いた。
「俺様は見ての通り人間ではない。だが貴様も人間ではないな?」
 違うか?と眉をくいと上げてみせた。
「見たところシガイではないな。弱すぎる。しかしΛヒトガタ人匕化うらばけといった怪異に足を突っ込んでいるようにも見えぬ」
「ホムンクルスだよ。正確には複合改変体モザイクピーシーズだ」
「ほう、ということは貴様は生まれながらの死者というわけな?」
「如何にも」
 連は興味深げにオレを舐め回すが如く見、顎に手を当てた。
「ふーむ、初めて見た。下衆だな」
「てめぇ……」
「道理で乱雑に扱っても死なないわけだ」
「だからって粗末にするなよ」
「するわけなかろう。俺様は莱馘一族の──」
「あーうるさいうるさい。わかったわかったから黙れ」
「おいおい、傷口が開くからやめろ。それより縫合終わったぞ」
 連は血の滴る箸、ではなく針の表面をその舌に這わせた。
「きっしょ……」
「文句を言うな」
「まぁ…ありがとう」
「礼には及ばん」
「ほ、そいつはいいことだ」
「それより貴様に興味がある」
「?」
 連はオレの頭をがしりと掴むと瞳を覗き込んできた。
「ピーシーズは珍しくてな。しかも死者からの復元とは……はてさて珍妙なものに出会った。バラバラに分解したいところだが……」
「ヤメロ!」
 せっかく縫合が終わったばかりなのに。
 すると連もそのことに思い至ったのか、
「ふーむ。一度片付けたものを散らかすのは俺様は好かん。安心しろ」
 ほっと胸を撫で下ろした。
「それよりもそも何故こんなことになったね?」
「見てたんじゃないのか?」
「あいにくと途中参加なものでな。で、詳細は」
「そりゃあ、メンヘラに襲われたとしか……」
「メンヘラ?」
 そいつのことだよ、とオレは路上にぶっ倒れた首がへし折れた死体を差す。口を開いて中から茄子のような青い舌が覗いている。血走った目は餓鬼のようだ。
「見たところただの人だがな。怪異憑きにしては見覚えがない」
「だろうな。普通は見ないものさ」
「どう違う」
「中身だよ」
 オレはメンヘラに関する云々を逸話を交えて話した。
 まず、人には魂が存在するという前提を予め共有していなければならない。
 では魂とは何か。言うなればそれは人を人と規定する抽象概念である。
 人間とは血液と神経伝達物質で動くだけの至極合理的な有機的機械であるというのがかつての科学至上主義の席巻する世界の常識だった。
 人は何故生殖行為に励むのかという問いに、生物が遺伝子を介して情報を伝播させる記憶装置であるからという明確な答えがあった。魂とかいうものが愛なる不可解な概念を発生させ生殖を誘発するのではない、と。
 しかし義体化や意識転写技術によって脳を含む肉体という枷を脱ぎ捨て、生殖を必要としない身体にその意識を転写されたにも関わらず、人は愛を信じ続けた。これはつまり肉体ではない何か、要は魂としか形容しようのないものが人に愛を囁くからだ。
 ということは合理的機能しか持たないと考えられてきた人間にも魂という曖昧なものが存在する事を意味する。
 さて、ここまで踏まえた上で話題を憑依体に戻すが、その正体は人間の肉体に備わった抽象器官たる“魂の器”を宿主に寄生する霊的生命体だ。
 この存在が発見されたのは意識転写技術の普及した頃である。
 この技術は、意識又は魂の転写はできても複製はできない。人体から人形へと意識を転写する例を引くならば、人形側には意識が宿るが、意識を切り離され、転写された方の人体は転写過程でどこからか発生する熱エネルギーによってその機能を大きく損傷し、修復不可能な具合にまで身体を破壊されたのである。この熱エネルギーは余剰次元に存在する魂が束の間三次元空間に顕現することによってその存在に制約の枷を受け、熱エネルギーという形に変換されるからなのではないかと考えられている。
 しかし転写され、虚らになったはずの人体が損傷しない事例があった。
 それこそが位相外縁精神似像憑依体ハレーション──なのだった。
 我々の住む位相から離れたところよりやってきた異界生命体はそう呼称された。
 憑依体ハレーションは空になった人間の肉体に魂の不在を補う形で寄生する。その原型に沿って同じ笑みを浮かべ、その行動様式を模倣する。哲学的ゾンビというわけだ。
 しかし元より借り物の身体ゆえ、少しずつ齟齬を来たし、肉体の不調をあらわにする。そして精神活動は原型とは似ても似つかなくなっていき、やがて自傷行為や破壊行為に陥メンヘラ化す
 この個体もそんな一つというわけだった。
「要は転写され、虚ろになった身体に居座る怪異というわけか。まるでヤドカリだな」
「そうだ」
「して、貴様が襲われた理由を俺様はなんとなく察した気がする。さては貴様魂が無いな。元より死体の貴様だ、寄せ集めの臓器を切り貼りしただけの存在に魂など宿らない。貴様の言から鑑みるに、肉体どうのこうのに魂の存在は影響されんらしい。であるならば納得だな。では、ということはメンヘラなる不可解な存在に付け狙われるのも道理。メンヘラは宿主を求める傾向にあるわけであるからして、魂のない貴様は格好の餌食というわけだな」
「そうそう。今回で十五回目だな」
「ヤバいな」
「おう」
 死体というのは劣化する。よって宿主には適さない。しかしオレは健全な活動を可能にしながら、しかし魂を持たない、言わば生ける死体である。あるいは逝ける肢体である。つまるところとても居心地の良い住居というわけだ。
 憑依体は一度現界し寄生するとそう易々とその肉体からは抜け出せない。余剰次元のエネルギーによって肉体に定着したわけであるからして、脱衣にもそれ相応のエネルギーを要するためである。つまり現在の宿主を捨ててオレの肉体に再度余剰次元から寄生することは不可能というわけだ。
 そういうわけで三次元空間に置き去りにされた憑依体はその崩壊した精神を有してオレに寄生しようと寄生した三次元状態で接触を図ってくるため、あのような凶行に至るという寸法だ。
 いい迷惑である。
 連は空を見上げ、腕を組んでしばし考えに耽った。目を閉じて一心に唸る姿は役者のように様になっている。長めの睫毛がひどく人を魅惑するようだった。彫り物と黒い歯さえ無くば優男なのだが、とオレは思った。
 ややあって、
「んで、いつまで考え込んでんだお前。オレはもう帰るぞ」
「いや少し待て。夜も更けたし俺様が送って行こう。俺様は怪異討伐のプロだ。いた方が心強かろう。なによりも淑女を放置していくのは男が廃る」
「人様がもがくのが好きなんじゃないのか?」
「それは人間に限る。貴様は人に非らず、ただの傀儡だ。だが精巧に動くよう作られた芸術品でもある。それがそこらの無粋な輩に壊されるのは正視に耐えん。少なくとも俺様の目の届く範囲ではな」
 褒めてんだか褒めてないんだか。
「勝手にしろよ」
 オレははだけたシャツの前ボタンを留めると、破れた上着を纏おうとしてそれがただの布屑に変貌していることを知った。
「貸してやろう。洗って返せ」
 ぼすん、と肩に乗せられたカズラ。かなり重かった。こんなものを着ていたのか。
「……ありがとう」
「礼には及ばん」
 暑かったのだ、と連は手で顔を煽いだ。その割には汗ひとつかいていない。
「では行こうか」
 オレ達二人は夜の路地を歩き出した。

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