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更なる成長を目指すドヴァのCFO、白子氏。その人生の糧となった貴重な経験とは

株式会社ドヴァは2023年、新たな取締役を迎え入れた。
その名は白子貴章——。


白子さんの歩んできた道

白子さんのキャリアは、2000年に新卒入社したリース会社から始まる。数年勤めた後、銀行員に。そして、某大手総合金融サービス企業へ転職し、投資銀行本部事業投資グループでプライベートエクイティ(PE)投資やM&Aの案件に携わる。

11年ほど身を置いた金融業界に別れを告げ、「事業会社で働きたい」と人材・情報サービスを手掛ける某大手企業に飛び込む。約4年間、新規上場(IPO)のプロジェクトリーダーとして職務を全うした。

その後、ベンチャー企業のCFO(最高財務責任者)や事業開発責任者などを経て、19年に独立。デザインマネジメント社を立ち上げ、顧客数社のIPOやM&Aのプロジェクトに関わる傍ら、情報経営イノベーション専門職大学の客員教授を務め、後進の育成に励んできた。

そして23年2月、CFOとしてドヴァの経営陣に加わることとなった。なぜか?

「旧知の仲だった土橋社長から直接オファーがありました。企業として更なる成長を目指したいと。最初は外部コンサルタントの立場でアドバイスをしていましたが、深い話をしていくうちに、もっとそばで見てみたいと思うようになりました」

入社から約1年経った今、社内のメンバーとともに、目標に向かってまい進する日々を送っている。

ここに至るまでにさまざまな実績を積んできた白子さん。それによって得た知見をドヴァの社員に還元していきたいという。そこで今回は、自身のキャリアを振り返る中で、3つの「代え難いハードな経験」を挙げてもらった。

得意先の会社が、実は……

1つ目は、とある詐欺事件に巻き込まれたことだ。厳密には、直接的な被害はなく、白子さんが新卒で入ったリース会社を辞めた後に、元上司から打ち明けられた話である。

「お前がやっていた案件、半分以上が火を吹いているぞと教えてもらったんです」

白子さんは入社1年目に融資の営業成績がトップになった。思い起こしてみると、その時の大口顧客がその会社だった。端的に言えば、直接会って営業していた相手は、白子さんを騙していたわけである。もちろん、融資先の審査は厳しく行われていたはずだが、その網の目をするりと潜り抜けていた。相手を信頼してカネを貸していたけど、すべては架空の案件だったことにショックを受ける。

「いかに自分に人を見る目がなかったとか、表面的にしか物事を見てなかったとか。深く反省をしましたね……」

この時の教訓から、徹底的に物事を調べ上げるというスタイルが、否応なく身に付くことになる。

リーマン・ショックで味わった違和感

2つ目は、某大手総合金融サービス企業在籍時代に起きた出来事である。

1000人ほどの従業員がいる上場会社を買収し、その建て直しのために白子さんは送り込まれた。しかし不運なことに、リーマン・ショックに見舞われて景気が急速に悪化。その会社は倒産を余儀なくされた。しかも、会社の規模を縮小する段階で900人以上の従業員を解雇する羽目になった。

「解雇された人は当然、今までの年収を維持できません。50代以上の人なんて給料を3分の1に下げても新しい仕事が見つかるかどうかの状況でした」

再建のために仲間として一緒に奮闘してきたけれど、立場が違うと、こうも命運が分かれてしまうものなのかと白子さんは落ち込んだ。しかし、さらなる衝撃が白子さんを待ち受けていた。

倒産の後処理がひと段落付いた後、出向元に籍が戻ると、上司や同僚からは「よくやった」とあっけなく労わられたのだった。

「リーマン・ショックの中、お前はよく損失を最小限で食い止めたなと評価を受けるわけですよ。違和感しかありませんでした。そんなことのために必死で働いていたんだっけ、と」

このような温度差に悶々とした。そして自省もした。

「あの会社を僕らは買収するべきではなかったと思いました。なぜなら買収前からリーマン・ショックが起きそうな気配はあったので、むしろそのタイミングで一度倒産させたほうが700人くらいの従業員は残せたかもしれない。でも、一か八かの勝負に出たわけです。金儲けのために。その結果、リーマン・ショックで900人以上を解雇しなければならなくなった」

会社のことを考えたら、早めにボタンを押してあげるべきだった。白子さんは今でも後悔する。

そして、この出来事が自身の考え方を根本的に変えるきっかけになった。

「結局、金融投資側の立場だと、会社の当事者として、本当に会社を良くしようとはできないなと痛感しました。瞬間的に利益を最大化し、損失を最小化する、という視点を重視してしまうから。」

資本主義的な考え方を最優先すると、この先、気持ちよく仕事をすることができなくなると感じた。その結果、事業会社でビジネスをやりたいという意思決定につながったのである。

人材情報サービス企業で経験した、経営陣との「思考訓練」

最後の一つは、某人材情報サービス企業で揉まれた経験だ。

上述の通り、白子さんは同社のIPOプロジェクトを指揮する立場で参画した。そのため日常的に仕事を共にするのは経営層のメンバーたち。こうした環境で徹底的に鍛え上げられた。

「2週間に1回のペースで、当時の取締役4人と2〜3時間ディスカッションしていました。例えば、『お前が経営者だったらどうすべきだと思うのか?』など、いろいろな論点やアジェンダで問われ、説得力がない回答をするとダメ出しされる。そんなことを2年以上も繰り返すわけです」

今振り返ってみても胃がキリキリする思いだというが、そこで物事の考え方、具体的には仮説思考や論点思考が養われた。白子さんの言葉を借りれば、本質的な課題は何かを導き出す「思考訓練」に近いものだった。

約4年間在籍する中で、なぜこの会社がここまで大きく成長したのか、多くの経営者を輩出するまでに育ったのか、その秘密も肌で感じ取ることができた。そのような哲学を植え付けられると、自分自身も外へ飛び出してチャレンジしたいと思うのは自然の流れだろう。

無事に2014年、IPOを果たす。白子さんは役目を終え、その会社を巣立った。

白子さんの気づき、そしてドヴァへ

このようにハードな経験を積んだ白子さんは、もはや怖いものなしではないのか。そう尋ねると、可もなく不可もなくといった表情で、次のような返答があった。

「自分の思考の軸がある程度でき上がってしまったことで、経営者との考え方の違いが生じる事が多くなった」

まだ経験の浅かった若手の頃。例えば、銀行員時代であれば、顧客企業の社長がやりたいことをどう実現してあげるか、それだけを愚直に考えていれば良かったが、経験を重ねていくにつれ、「こうしたほうがいい」「つまりこういうことなのだろうか?」などと自分なりの意見を口に出したくなってきた。

「もちろん、合理的に相手を説得することもできますが、仕事上は経営者の考えに寄り添う必要がある。このバランスをとることが難しい」

経験を積むうち、一人の経営者だけにどっぷりと向き合うと、どうしてもさまざまな歪みが生まれてしまうことに気が付いた。例えば同時に5社の経営者を支援すれば、良い意味で意識が分散し、バランスが取れるそうだ。
 
そこで1社につき週1回だけ稼働するコンサルタントとして、CFOや事業開発責任者の立場で複数社を支援することにした。すると白子さんの読み通り、それぞれの経営者の考え方を柔軟に受け止め、快適に働けるようになった。
 
実は、ドヴァも最初はそのうちの1社として支援していた。しかしながら、土橋社長の巻き込み力や人としての面白さなどに魅力を感じ、さらに事業成長に対する本気度に突き動かされて、外部パートナーではなく、経営の一翼を担う役員としてコミットしてみたいと腹を括った。
 
次回は、白子さんがこの1年間でドヴァに吹き込んだ新風について詳しく見ていこう。
 
(後編に続く)


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