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DOVA’s Story

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DOVAで働く仲間たちへのインタビュー記事です。
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#横浜

怪我の功名? 社内外のトラブル対応が技術力アップにつながった

社会人1年目が過ぎ 社会人1年目は 「会社に慣れること」 「技術力を身に付けること」などが主な仕事だったと振り返るSさんだが、2年目に入ると、徐々に社内業務などに携わるようになる。 そんな最中に起きたのが、“社内ファイルサーバ消失事件”だ。これはSさんにとっても印象深い出来事となった。なぜならば、データ復旧に向けた緊急対応に一員として関わったことと、それによって多少なりとも会社に貢献できたという意識を持てたからだ。 事の顛末(てんまつ)はこうだ。 トラブル発生。その

「大学進学よりも稼ぎたい」地元・栃木を飛び出し、18歳でエンジニアになったSさんの武者修行

18歳で社会に出る決意 「入社したときはまだ18歳ですね」 メガネが似合うSさんは飄々とした表情でこう語る。現在、ドヴァのプラットフォームサービス部門に所属するエンジニアだ。彼は大学に行かず、高校を卒業して7カ月後にドヴァに入社した。 別に勉強が嫌いだったわけではない。むしろ得意なほうだろう。なぜなら、栃木県で有数の進学校に通っていたからだ。同校は現役で国公立大学に合格する生徒も多い名門である。 「僕以外は皆、進学していました。浪人してでも。多分、大学進学率は99%。

プロDJ・Sさんの決意、「IT業界未経験の人たちのロールモデルになりたい」

毎朝8時半過ぎに出社 ドヴァのマーケティングセクションで働くSさんの朝は早い。 「8時30分ごろには出社していますね。(横浜ランドマークタワーの)エレベーターは空いているし、『おはようございます』と言ってオフィスに入っていくよりも、自分の席で、他の人を迎える方が気持ちいい」 「でも……」と、Sさんは苦笑いしながら続ける。 「一番ではないんです。もっと早く来ているSales部の方がいるんですよ」 ドヴァの始業時間は9時。それよりもずいぶんと早く出社するSさんは、とても

「バイブスを伝えたい」——IT企業に飛び込んだプロDJ

サラリーマンとプロDJの二足のわらじ あるWeb動画CMで、女優とお笑い芸人がお互いの政策や主張についてラップバトルを繰り広げている。2020年から21年にかけて公開されたもので、ネットユーザーの間でも話題となった。 「あのバトルビート、僕が作ったんです」 涼しい顔でこう語るのは、ドヴァのマーケティングセクションで働くSさんだ。大学生のころからDJ活動を始め、プロとしていくつもの楽曲を世に送り出している。また、日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)や、クラブイベント「ageH

今ではプロ顔負けの写真家、ベトナム人エンジニアのTさんの人生を変えた「沖縄」

沖縄の海に感動ドヴァのICT Software Services Division(開発部)で、シニアエンジニアとして新しいサービス開発にまい進するTさんは、日本での生活も通算18年となった。 今では横浜・みなとみらいに通勤する日々を送り、大都会での暮らしもすっかり板についた。けれども、かつてTさんが母国・ベトナムを離れ、最初に出会った日本は、東京でも大阪でもなく、「沖縄」だった。 2000年10月、琉球大学の大学院で音声合成システムを研究するために来日した。初めて沖縄の

母国・ベトナム発展のためにエンジニアの道を選び、来日したTさんの願い

選んだ道「大学に入るとき、2つの道がありました。弁護士になるか、エンジニアになるか。どちらも社会にとって役に立つ仕事であることは間違いありません。ただ、貧しい母国が発展する上では、技術力を磨いた方がより貢献できるのではと考え、工学系を選びました」 こう話すのは、ドヴァのTさん。ベトナム出身のエンジニアだ。ドヴァには2016年7月に入社し、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)ソリューション「アシロボ®」のプロジェクトに深く関わった。アシロボは、ユーザーインタフェ

「プロ意識を持て!」 若き開発リーダーの目を覚まさせたある事件

「DOVA’s Story」では、ドヴァの社員やパートナー、ユーザーなどの中から一押しの人物をピックアップ。彼ら、彼女らの仕事観や生きざまなどを紹介します。今回は、ドヴァの若きリーダー、Nさん。2回に分けてNさんの物語をお届けします。 会社の歴史を変えた瞬間2019年2月14日——。創業してから二十数年のドヴァにおいて、初の自社開発サービスがローンチされた。そのときの興奮を、同社のICT Software Services Division(開発部)でサブリーダーを務めるN