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僕の今年の漢字は「暇」。2020を振り返る

大晦日の方も元旦の方もこんばんは。気が付いたら2020年が後数時間で終わりを迎えるそうなので急いで筆を執りました。みなさん、2020年はどんな年でしたか?2021はどんな年になりそうですか?

 人の数だけある2020年と2021年ですが、この記事では僕なりに今年を振り返ってみるとともに、暇とはなんたるかやら来年の抱負やら色々書いてみたいと思います。

関係ない話なんですが、少し前に書いたこちらの記事
編集部のおすすめ記事&マガジン(?)に載り、5000PV超&100超スキをいただきました。ありがとうございます。自己満足で始めて自己満足で書いているnoteですが、多くの人の目に止まって読んでいただけたこと、少しでも誰かの共感を得られたであろうこと、とても嬉しく思っています。平均50PVくらいだった僕には本当に身に余る光栄です・・・!今後もぼちぼち頑張ります。何かしらの形でどうしても伝えたかったのでこちらに書かせていただきました。以下から本題です。


・ズバリ、今年は何も無かった。すぐ過ぎた。

 こちらの記事でも書いたのだけれど、大学生活が遠隔講義メインになったことで家から出なくても生きられてしまう生活がほぼ一年中続いていた。

 だからなのか、精神的にというか、人間的な成長が感じられない。去年の僕と何かが変わったという感覚がない。本当に今年何してたの?ってくらいにあっという間。

「暇」。たしかに、課題やバイトに時間を取られることもあって忙しい時もあったけれど、そういうのとはちょっと違うというか・・・何か、2020年はこんなことをしたぞ!って胸を張って言えるものが無い。何かがない。でもそれがなんだか分からない。少し空いた心の風穴に元々はまっていた物は何だったのだろうか、とずっとモヤモヤしていた。


・そもそも「暇」は悪いことなのか?

 全く違う話になるのだけれど、高校の世界史の先生が授業の始まりにこんなような質問をしてきた。

「古代ギリシアにはがあった・・・これ、の部分に入る言葉が何だか分かりますか?」

 その答えは「暇(ギリシア語でスコレー、Schoolの語源)」。奴隷に労働を任せていたため、ギリシア人には「暇」があった。好きな事をしたり、深く考えたりする時間が十分にあった。一般市民は学問を志すことができた。それ故に、ギリシアからは偉大な学者が多く生まれた・・・。

 先生はそんなことを言っていた。そしてこの「暇」とは、単なる「暇」ではなくて、何か有義的で積極性をもった時間だとか、個人の主体的な自由を許された時間のこと。ダラダラではなく、シャキっとした自由時間のこと。

 そう考えると、もしかするとこの2020年、ひいては大学生という身分でいられることのできる期間に訪れる(訪れた)「暇」というのは、もしかすると物凄く大事な時間なんじゃないだろうか?とても幸せなことなんじゃないだろうか?使い方次第で良くも悪くもなるものなんじゃないだろうか?と思った。つまり僕は、本来であれば素晴らしいものにできるはずの「暇」という期間を、何にもせずみすみす見逃していたことになる。

・・・気付かない方が幸せだったのかもしれないが、2020年は何もせず過ごしているうちにもう間もなく終わりを迎えようとしており、その2020年をあっという間な年に、「暇」な年にしたのが他でもないこの僕自身である、という残酷な事実を知ってしまった。

そして、このまま過ごすのであれば来たる2021年もまた、その2020年の繰り返しになると言っても差し支えない。

 「暇」は「暇」でも、かつてのギリシア人が過ごしたような、何か後になって振り返った時に形に残るような、今年の自分が体験してきたようなそれとはベクトルの違う、ポジティブな「暇」を獲得する必要があるということだ。そして、そういった形の「暇」は悪いどころか寧ろとっても良い事だと思う。そういうものにわたしはなりたい。

 ・・・最初の問いに答えるなら、「暇」が良いことなのか悪いことなのかはその「質」による。

・とはいえ、いい事も少しはあった

 その一つが、もう今まで何回も言ってきたけれどこのnoteを始めたこと。自分が思ったこと、考えたことをただ書き連ねているだけなんだけれど、自分の中に留めておくのと人に見える形で置いておくのとでは天と地ほどの差が確かにあった。こちらもズバリ言おう。無為にしてしまったように感じる2020年だけれど、小さなきっかけで始めたnoteのお陰か、今までよりも思考に深みが出たように思える(実際は分からないけど)。だから、それだけは胸を張って言いたい。

 今これを読んでいるアナタの前に、物事を沢山考えているけれど、それを一切何も表現しない僕が立っているとする。これではアナタからは僕がどんなヤツなのかが微塵も分からない。ゼロ。

 だけれど、その横に僕の「note」の記事が添えてあったらどうだろうか。それまで形を掴めずはっきりしなかった僕という人間について、先ほどよりも認知が進んだように思えないだろうか。まあ小難しく言ってるだけで、ただ「思う」こととそれを「言う・伝える・書く」ことって全然違うものだよねってお話です。

・・・こんな風に僕は、「暇」に終始した2020年だったけれど、その中で今まで考えていなかったような部分にも考えを向けてみる余裕がいつの間にか出来ていた。もしかすると今後しばらくの人生の中で、今が一番無駄なことも考えていていい時間かもしれない。これから忙しい日々を過ごすうちに、2020年の僕がしたような無駄だけれど意味のあった考え事もしなくなってしまうのかもしれない。

「暇」のお陰なのか、思考力だけは今までよりももう一段階メタ的な、高次的で多角的で客観的で・・・うまく言えないんだけれど去年よりとりあえず進歩はあったように思える。20歳にして、もはや人生のピークとも言えるアタマに辿りついた(と思われる)僕。これからどうなるかは分からないけれど、「今僕が確かにここにいて、ああでもないこうでもないと考え事をしていた」という証を今後の僕の為に残しておこうと思う。

今こうして、小学生が未来の自分にタイムカプセルと銘打って言葉を贈るような真似を再び試みていることも、きっと間違いではないと思う。

にしても、2021年はいったいどうなるのだろうか・・・?泣くも笑うも自分次第だという事だけが確か。それ以外は不透明。

 書いたり消したりしているうちに2020年もあと3時間ほどとなった。もうやり残したことがあっても手遅れ。明日できることは明日やることにして、もう20回も繰り返した年の終わりにしみじみと感傷に浸りたいと思う。

何てかたっ苦しいことは置いておいて・・・僕という人間と関わってくれた皆さん、今年もお疲れさまでした&お世話になりました、来年もよろしくお願いしまーす!

・来年の抱負は?

 ネットサーフィンをしている時に、意外な出会いがあった。それはお笑い芸人、オードリーの若林正恭の著書の一節。直接手に取ったわけではないけれど、こんな言葉が綴られているらしい。

ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ。

 捻くれ者の若林が言ったからなのか、不思議と納得した。イヤなこと、気持ちを考える時間すら僕から奪ってしまうような、夢中になれる物・・・そう思うと2020年は無かったかも。この文章を見た時にビビっときた。

 2021年の抱負は「没頭」。読んで字の如し、頭を没することができるような何かを見つけられたらいいなと思う。そしてそれは良い「暇」だと思う。そう考えたらワクワクしてきた。何か始めてみようかな。

取り留めも無く書いていたらあと2時間ちょっとになってました。今年の記事はこれでおしまいです。


関係ない話なんですが「暇」と「蝦」って似てますよね。多分入れ替えても誰も気づかないと思うんですがいかがでしょう?




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