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#Day8 あなたは「怒り」から何を学びますか?

\\1ヶ月書くチャレンジ挑戦中//
▶テーマ:最近怒ったこと

わたしが最近怒ったこと


育児では怒りたい気持ちになったり、声を張り上げてしまうことが毎日のようにあります。

けれど、育児以外となかなか思い浮かばないので、少し前、職場で起こったことについて少し深掘りしてみます。

すごく労力を使ったイレギュラー案件。
【経理】という職業柄ミスは許されない。
担当者同士で何度もやり取りをして進めた対応だったけれども、上司からは現場の私達の努力に一切の労いや寄り添いがなかった。

自分は「あんなに大変だったのに。」、「あんなに頑張ったのに。」という気持ち。
だけど、それが見られていない・認められてない気持ちになり、とっても悔しくて、つい愚痴っぽくなってしまったことがあります。
(もちろん、本人には何も言えずなのですが。)


この怒りからの学びは2点

最近、瞑想会を毎週していたり講座を受けるようになって、この悔しい気持ちに対しての様々な解釈が頭に浮かんできたので、それをシェアしたいと思います。

▶学び①:変えられるのは自分だけ
 

人は自分が気づいて「変わろう」と思わない限り、変わらない。変えられるのは他人ではなく、自分自身だけ。

他人は変えることはできない。
でも、自分の考え方、捉え方はいくらでも、どんな風にでも、思い通りに変えられます。

だから、怒れてくることや悲しいことも、自分で解釈を変えてあげればいいんじゃないかな。

「労って欲しかった」・「寄り添って欲しかった」という気持ち。

『ちゃんと気づいてー!寄り添ってー!』って伝えられても、相手が「変わらなきゃ」と思わなければ、現状はなーんにも変わらない。

だったら、自分が自分に寄り添ってその気持ちを聞いてあげればいいし、『辛かったんだね。労ったり、努力を認めてほしかったんだね。』と自分に声がけし、「自分はそんな悲しい思いを周りにさせないように反面教師になれたらいいね」と自分の解釈やこれからの行動を変えてあげればいい。

人に期待ばかりしてても、自分が動かない限り現状は何も変わらないからね。

▶学び②:『瞑想』的にしたい対応

自分の感情が今回みたいに、悲しいとか苦しいとか怒れてくるとか、色々と振り回されているとき。

『瞑想』的な、鑑賞者意識客観視やメタ認知とも言われる)がとっても役に立つ。

私もまだまだ修行中だけど、自分の感情が揺れ動いたときに客観視することができれば感情にも流されにくくなる。

これは、瞑想で得られる一生物のスキルだと思う。

自分を俯瞰することで感情の波を穏やかにできる。

少し難しい話だけれども、瞑想的には以下のように語られる。

「自分の感情(=心)は自分じゃない。自分は本質(アートマン・魂)にしかない。心とアートマンを別物として俯瞰して見ることが必要。」

怒りや悲しみが起きてもそれを俯瞰すること。
そして、自分を責める理由にしないこと。

そうしたら、人生もっと気楽に楽しく生きられそうだね。


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