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特に時代の転換を画すものではなかった、「楽市」政策の虚飾を剥ぐ労作

 何かにつけても、「時代の転換点」「時代の画期」と言いたがる人がいる。

 しかし、歴史研究という現在からの振り返りの過程において、あまりに明確な時代の転換点を探そうという思考・志向は、適切な歴史像を描くことに得てして失敗するように思われる。特に、一定のスキームや区分論に拘泥すると、酷くなるだろう。

 目下、こういう時代の画期性の「虚飾」を剥がされる過程にあるのが、織田信長論だろう。織田信長が政治家として傑物であること自体は否定しないが、その政策が彼の個性の発露だけでは説明できず、むしろ過去や周囲との連続性があることがどんどん解明されているし、彼の施策が実はその後の制度的展開を支配していない(つまり、秀吉や家康は信長の政策を踏襲していないということ)こともはっきりしている。

 そのような信長による政策として喧伝されてきたものの代表例が「楽市楽座」だろう。

 本書「楽市楽座はあったのか」では、現在確認されている「楽市」の記載のある法令を収集し、各法令の発布の経緯をできる限り周辺事情から分析している。結論的には、「楽市」というのは、それ自体に固有の制度的意義があるわけではなく、大名層(一部では国人領主層)の必要に応じて出されたレッテルでしかないということのようだ。せいぜいその程度の意味しかなかったことから、「楽市」令の出された場所が、結局、近世に都市的発展をしている例が少ないという、「意外な」事実関係を抽出している。

 つまり、「楽市」制度は、次代に引き継がれるような転換を、時間的にも空間的にも生み出していないということだ。

 楽市の「楽」という概念が、アジール論などという形で、一部の志向性を持つ人々に言祝がれていたようだが、結局、実証的に確認すると、特に革命的なものではなかったという、建設的な知見を得ることができる。

 日本史研究は、史料上の制約から、これまで歴史物語や講談の影響をもろに受けていたが、史料のデジタル的な整備が進んで、本当の実証史学となってきている結果、「革命」を志向する歴史叙述=大いなる物語論から脱却してきているのだろう。

 徐々に、頼朝なんかの人物像も大きく変化していくのではないだろうか。

※上の写真は、最新の研究成果を踏まえていると評判の信長の漫画の表紙も並べてみました。

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