正解なんて分からないけど、それでも進まなくては


自閉症スペクトラムである長男は今日も幼稚園をお休みした。先週は一度も行けなかった。今週は二回も行けたから、長男にとってはものすごく頑張ったと思う。

年少の頃と比べて登園拒否の頻度はだいぶ減ったし、着替えるのを嫌がって泣いて暴れることも無くなった。そのかわり、「お腹痛い」「幼稚園に行きたくない」と言葉にして伝えることが出来るようになった。それはとても大切なことで、泣いて暴れなくても自分の気持ちを言葉にして伝えることが出来るようになったということ。そして同時に、その言葉を、気持ちを親がしっかりと受けて止めないといけないということでもある。簡単に言えば、ごまかしが効かない。泣いて暴れる長男を見るのもつらいけど、「お腹痛い」「行きたくない」と泣きそうな顔で私に訴えてくる長男を見るのはもっとつらかった。


そして、幼稚園に欠席の連絡をするのがとても苦しい。名前とクラス、そして「お休みします」と伝えるだけなのに、電話を掛けることがものすごく気が重い。欠席の連絡をして少し経つと、担任の先生から心配の電話が掛かってくる。正直、それもしんどいなぁと思うときがある。先生が長男のことを真剣に考えてくれていることが分かっているからこそ、その気持ちに応えることが出来ていないことにつらくなるのだ。


母子分離不安が強くておうちが大好きな長男は、「ママが一緒なら幼稚園は楽しい」とはにかみながら言う。出来ることならそうしてあげたいのが親心だけれど、ずっとこの先も私が長男のそばにいることは現実的では無いだろう。先生のこともお友達のことも本当は好きなのに、自閉症スペクトラムの「対人関係の難しさ」という特性が壁になる。嬉しそうにお友達の話をしてくれる長男の表情を見て、チクリと胸が痛くなった。


今の長男にとって、休息は必要なのだろう。大好きな家から離れて、苦手な集団生活のなかで小さなからだでたくさん頑張っている。人生は短距離走ではなく長距離走だから、休むことも時には必要だ。これで無理をさせて二次障害を併発することだけは絶対に避けたい。でも、いつまで休ませたらいいんだろうとも思う。本人の気持ちを尊重して休ませて、じゃあ次はいつ行くの、という話になる。今日だって、本当は幼稚園に行く約束だった。約束を守らせなきゃいけないのはもちろん分かっているけれど、だからと言って「お腹痛い」と泣きそうになっている長男を無理矢理にでも行かせることが果たして正解なのだろうか。私には、それが正解だとは思えなかった。


これから先、長男はどうなるのだろう。
未来が分かっているのなら、明るい未来が約束されているのなら、こんなに迷って悩まないのに。どんな子でも安心な暮らしが保障されている社会だったら、こんなに不安になることもないのにな。



「今」が大切だけど、「今」"だけ"が大切なわけじゃない。
生きている限り、未来はやって来る。だから、今の私にとってこれが精一杯で最善だ、という選択をしていくしかない。正解を選ぶのではなく、今の選択を「それが正解だった」と言えるような未来にしていくのだ。






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