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「助けて」と言いたい人ほど、声を上げることが難しい


ずっとずっと、遠い昔の記憶。あれはたしか私がまだ幼稚園生のころだった。なにかをして父親を怒らせた私は、父親に体を強く床に押し付けられたことがある。父親を怒らせるとよくあることだった。その間、母親は我関せずにいる。私が泣いて助けを求めているなか、ラーメンを食べていることもあった。父親のあの殺気めいた表情を思い出しては、今でも恐怖で体が震えてしまう。ギャンブルばかりでほとんど家にいなかった父親との記憶といえば、こんなものばかりだ。


虐待を、そして虐待によって救えなかった命をひとつでも減らしていくことが今の社会に強く求められている。救えなかった小さな命たちがそれで報われるとは微塵も思っていない。その子たちにとっては、それが一度きりの人生だったからだ。でも、無駄にしてはいけないと思う。どれだけ生きたかっただろう。どれだけ、愛されたかっただろう。どれだけ、抱き締められたかっただろう。そんなことすら叶わなかった子供たちに想いを馳せるたびに、胸が軋む。「人生は一度きりだ」と書いたけれど、もし彼らがまた生を受けることが出来るのならば、どうか温かい場所であって欲しいと切に願う。そして私は、彼らのぶんも自分の子供たちをたくさんたくさん抱き締めたい。

それと同時に、「目に見えない虐待」にも目を向けなくてはと思う。私が生まれ育った家庭がそうだった。父親はギャンブル依存症、母親は精神疾患を持ち、外から見れば普通の家庭だったけれど中を開けてみればギャンブルと生活費のために膨れ上がった借金、父親の不在、母親のネグレクト。子供のころはこれがどの家族にも当たり前のことだと思っていた。そんな私が、自分が生まれ育った家庭がおかしいことに気が付いたのは、子供を産んでからだ。

最初は親を恨んでばかりだった。「こんな家庭だったから」、「こんなふうに育ったから」、「毒親だ」と親に言葉をぶつけ、何年も連絡を絶った。カウンセリングに行き、過去と、そして自分自身と向き合うことでようやく共依存関係だった母親とも上手く距離を取ることができた。ここまでに、10年もかかった。


今でも親に対して思うことはもちろんある。でもそれとは別に、「彼らに手を差し伸べてくれる人が一人でもいたら......」と思うようになった。父親のギャンブル依存症を「病気だよ」と言って然るべき専門病院に連れて行ってくれる人がいれば。母親の精神疾患について理解してくれる人、そして母親の家事や子育てをフォローしてくれる人がいたら。父親はさておき、母親からされてきたこと、言われたことは忘れないし許すつもりもないけれど、母親は好きでネグレクトをしていたわけじゃないと今となっては思う。母親には、なによりも支援が必要だった。支援を受けることが出来ていたら、きっと母親も楽だっただろうし私も両手いっぱいに抱えている生きづらさが片手ぐらいの軽さになっていたのかもしれない。

しかし、支援を受けなかったことが問題なのではない。支援を受けづらいことが問題であるということを、社会や国にはしっかりと理解して欲しいと思う。親を支援することで救われる命がたくさんあることを。「助けて」と言いたい人ほど、声を上げることが難しいことを現実として知るべきだ。


だから、私は書く。私のような、目に見えにくい虐待を受けている人、もしくはボーダーラインの人、そして自分がされてきたことが虐待だったと気が付かずに今も尚、苦しんでいる人。そして、支援を必要としている人がいることを私はこれからも書いていく。私には、書いて、それを読んでもらって知ってもらうことしか出来ないからだ。


あのときの母親の気持ちをたくさん想像するようになった。きっと、もっと幸せに生きたかっただろうな。もっと楽しく子育てしたかっただろうな。そして、本当は子供のことを傷付けたくなかっただろうな、と。そんな親子がこの世から一組でも減って欲しいな、と私は強く願う。

それが、私が書いている理由のひとつだ。







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