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事故物件だったのかな👻

昨年、インド占星術の鑑定を受けるために人生年表を作成した。
13回引っ越ししていたことがわかった。

父の転勤、父のDVから逃げる、母の破産、母から逃げる、、、など。
いまの住所には10年も住み続けていると気づいて驚いている。
小さな事件は起きていて私は逃げたかったが子が反対して断念した。
私の放浪癖は封印された。

風水を学んで内覧が楽しくなって、ひとに家相のアドバイスもするようになった。
吉相がよい暮らしをもたらすこともあったし、凶相と知りながら変えようがなく仕方なく住んで悲しいことが起きたりもした。

さまざまな土地に住んだがいつも近くに大きな神社か寺があった。
墓地の前やあからさまに住所が寺の跡を示す場所もあった。
そこを意識して選んだことはない。

小学校1年の夏休みに父の会社の借り上げ社宅に転居するために内覧に行った。
どのくらい期間、空室だったのか知らないが夥しい数の茶色の害虫が死んでいた。
あまりに不潔だったのでその後、一度バルサンを焚いたが酷いものだった。
キッチンのカーペットには茶色の大きな染みが複数あった。
新しく入居する借家であれほど汚なかったのはその一軒だけだった。

そこに住んだのは3年間だけだったが、その間に母が病気になり手術のため入院した。
父は新しい職場でストレスを抱えDVをはじめた。
姉は学校でいじめられていた。
私は学校で暴れたりたびたび問題を起こした。
引っ越し前にはどれもなかったことだ。

このときの自分が起こしたトラブルやそれに対応する母の態度などはいまもトラウマのように思い出される。
私は一度だけ夢遊病のように夜中に目を閉じたまま歩いてきて話し、寝床に帰ったと母から聞いた。
暗い家族だった私たちはその住所に移ってからひときわ沈鬱な空気のなかで暮らした。
いいことはなにかあっただろうか。
なにも思い出さない。
ずっと身体が痛かったし心も痛かった。

その住所の周辺は古い平屋が多く、私たちの借家のマンションが一番高い建物で外から来た者も入り込めるため飛び降りが多かった、自〇の名所だったと後から聞いた。
エレベーターホールも暗くなんとなく妖気が漂う雰囲気はあった。
私たちの部屋も西日しか入らない向きだった。
いまにして思えば家相はもちろんだが、住んではいけない場所だったと思う。
社宅なので選択の余地はなかったが。
3年で出られたのは不幸中の幸いかもしれない。

キッチンの茶色い染みをいまでも思い出すのだが、あれは血なのかもしれない。
小学生だった私は「醤油をこんなに盛大にこぼすひとがいるんだな」と思っていた。
醤油ではなくて、あの家で血を流した誰かの無念がずっと漂っていたのかもしれない。

そんな思い出があります。

覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また私の12ハウスにきてくださいね。



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