道徳の教科化でいじめはなくなるか。

道徳の教科化の理由の一つに、いじめ問題への対応というのが挙げられます。大津の事件を受けて、小中学校の道徳の教科書にはいじめ問題を扱うページや、読み物教材が用意されています。

ここで、多くの人は疑問を抱くのではないでしょうか。果たして道徳を教科化したことにより、いじめはなくなるのだろうかと。

結論から言えば、道徳の教科化はいじめ問題対応のための必要条件であって十分条件ではありません。つまり、道徳の教科化だけではいじめをなくすことはできません。

まず、いじめへの対応という点から道徳科の役割はいじめの予防です。裏を返せば、今、現在起きているいじめを解決することはできません。というより、いじめが起きている場では道徳科の授業の成立は難しいです。(正義が通らない状況だから。)もっと言えば、道徳の授業なんぞをしている場合ではなく、すぐさま解決のための実態把握に動かないといけません。

では、予防として考えた場合、道徳科の授業では子どもたちの心情へのアプローチとなります。このアプローチが上手くいけば、子どもたちはいじめはいけないということを再確認、より深い意味で理解することができるでしょう。実際にいじめが起きてしまった場合でも、指導のスタートが大きく変わります。

とはいえ、いじめは子どもたちの心情だけが原因で起こるわけではありません。環境的な問題や構造的な問題、関係性の問題等、様々な要因が複雑に絡み合います。いじめるつもりはなくてもいじめになっていたというケースも多々あります。いじめの渦中にいる人間はそのことに気づきにくいというのもいじめの特徴の一つです。(子どもたちがそれに気づき罪悪感を感じていればそこからは解決に向かいやすいです。)

だからこそ、第三者による発見というのが大切になってきます。

そのため、心情面にのみにアプローチをするいじめの対策には効果が薄いと言わざるを得ません。実際、大津のいじめ問題が起きた学校は道徳の研究指定校だったとか。(あくまでもらしいです。確定情報ではありません。)

荻上チキさんは、いじめを個人モデルとしてみるのではなく、環境モデルとして捉えなおすことを提唱しています。また、いじめの形態の変化もあって、いじめをしていることをクラスにいる他の子どもたちですら気づきにくいという状態にもあります。

いじめ対策は心情面だけではなく、構造面、環境面等、様々な観点から対策を取っていかなければならいというお話でした。




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