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みんな、ちゃんと完全教祖マニュアル読もうな

日記を書きます。

スマホネイティブ世代の子供たち

ちょっと前に、NHKで放送された「クローズアップ現代」という番組で、オンラインサロンの特集をしていました。

その特集では、学校を辞めてオンラインサロンにはまった女の子にカメラが向けられています。

取材にはその子の母親も登場し、心情を語っていたわけですが、それに対する女の子の反論がちょっと「どうなの?」みたいな内容でした。

一部抜粋します。

母・きはるさん
「自分を肯定してくれる人の中に居ても、居心地はいいかもしれないけど…。やっぱり世の中っていろいろな人がいるから、もっといろいろなものを見てほしいと思います」

さとみさん
「学校に行っていたときより、いろいろなものを見られているけどね」

(中略)

さとみさん
「嫌いな人とずっとつきあえってこと?」

母・きはるさん
「そういうことじゃない。ずっとつきあえというんじゃなくて、今行っているサロンはきっと同じような考えで、同じような楽しみがあって、すごく楽しい場所だと思う。だけど、人生ずっと長いでしょ。そういう所にずっといられるわけじゃないでしょ」

さとみさん
「そこで生活しているわけじゃないじゃん。それとほかに生活があって、やっているわけじゃん」

母・きはるさん
「でも、嫌なことも続けなくちゃいけないことってあるから」

さとみさん
「なんか古い考えだなって思う。一生理解しあえない。やっぱりこう言われても私は、私が思っていることを理解してくれている人、そういう人になりたいから私も。オンラインサロンで出会った人たちみたいに」

引用元:
追跡!オンラインサロン
コロナ禍でハマる人たちhttps://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4528/index.html


また、最近中学へ行かないことを宣言して話題となった、ゆたぼんくんという少年革命家が居ます。

彼は小学生半ばで、先生の言いなりになっている同級生をまるで「ロボット」の様だと認識します。そうして、「自分はやりたいことをやる」と不登校になってYouTubeをはじめますが、これがそれなりに成功。今では学校へ行く必要はないと吹聴して回る”ロボット系YouTuber”として活動しています。

さて、ゆたぼんくんも、この春から中学生。一体、小学校へは通わないと決めていたゆたぼんくんはの動向に注目が集まりましたが、やはり中学校にも行く気はないようです。ちなみに理由としては校則に不満があるとのこと。

そんな彼の動画の内容から、一部を抜粋して要約します。

シバターは『学校へ行くことで本当の友達ができる』って言っているけど、なんか俺からしたら古い考えやなって思うねんな。昭和のおっちゃんの考えみたいな。

パパとかシバターさんが中学生の頃と違って、今はネットで友達が作れるから、『学校に行かないと友達ができない』っていうのはネットの無かった時代の古い考え方。

これは、中学校へ行かないと宣言したゆたぼんくんに向けて、同じくYouTuberのシバターが投稿した「学校へ行け」という動画への反論です。

ところで、この二人が共通のフレーズを使っていることにお気づきでしょうか。

「古い考え方」

最初の女の子は、「生きていく上で嫌なことは必ずあるのだから、それに向き合って対処法を見つける」という考え方を、

ゆたぼんくんは「同年代の友達を作るために学校へ行くべき」という考え方を

”古い考え方”だと発言していますね。

しかし、この二つの考え方は、少なくとも現代社会において、多くの人が肯定している考え方だと思います。実際、オンラインサロンにしろ不登校推奨にしろ、世間からはバッシングの声が多く挙がっていますからね。

さて、そもそも特定の考え方に対して「古い」という感想を持つことは、つまり彼らはそれに代わる”考え方”を持っており、尚且それを「新しい」と信じているということです。

ただ、”自分の考え”と”世間一般の考え”が乖離していたときに、自分の考え方を「新しい考え方だ!」と信じられる人はあまりいません。

例えばあなたは、「ペットの糞尿を持ち帰る必要はない! 埋めておけば勝手に分解される!」という考え方だったとします。まぁペットの糞を放置したところで、私有地以外なら逮捕されることは無いと思うので勝手に放置すれば良いのですが。

しかし、当然そんなマナーに反した行動は世間的に認められません。ネットで意気揚々と発信したら炎上します。そんなとき、あなたは胸を張って「いや、糞尿を持ち帰るとか、考え方が古いですよ(笑)」なんて言えますか?

恐らく言えないと思います。だって、仮に主張をしても認められる見込みが薄いですし、マジョリティというのは数の暴力ですから、あなた1人がどれだけ頑張って相手を論破しようと躍起になっても無意味です。

それと同じで、オンラインサロンにはまった女の子も、ゆたぼんくんも、最初は自分の考え方はおかしいものではないか、間違っているのではないかと考えたと思います。あるいは、どうして自分の考え方は誰からも理解されないんだ、と。

ところが、最終的には自分たちの考え方が正しいと信じ、胸を張って今までの考え方を「古い」と述べています。

この二人に勇気があるからでしょうか? いいえ、この二人にそう思わせるコミュニティがあったからです。

先程のペットの話を再利用します。あなたは、あいも変わらずペットの糞尿を持ち帰りません。今日もエチケット袋を持たずに散歩へ行きます。

帰宅したあなたがスマホでYouTubeを開くと、超有名な起業家が「ペットの糞尿を持ち帰る必要なんてないよ。エチケット袋持ち歩いてるやつなんてバカだね」と発言している動画を見つけました。

更に、なんとペットの糞尿を放置することを推奨しているコミュニティまであります。今まで誰にも共感されなかったあなたが恐る恐るコミュニティに入ってみると、なんとそのコミュニティの人間は暖かくあなたを迎え入れてくれるではありませんか。

そのコミュニティに属したまま生活を続けていくと、段々とあなたの考え、ひいてはコミュニティの考えが一般的なのではないかと思い始めます。コミュニティの中に有名な起業家や活動家が在籍していたら、更に思いは強くなるでしょう。そして、「ペットの糞尿を持ち帰れ」という考え方を古いものだと認識します。

このように、世間一般と乖離した考え方であっても、その考え方を持つ人間が多く存在するコミュニティに属することで、その考え方は一般のものだと思ってしまいます。

より正確に言えば、新しい考え方だと思い込みたいんですね。願望です。

オンラインサロンの少女は、サロンのメンバーが退学を肯定し、嫌なことを無理にする必要はないという考え方を示しているため、それを新しい考え方だと思い込む。

ゆたぼんくんは、彼の知名度にあやかる学者や有名人に囲まれ、今の生き方・考え方が正しいと思い込む。

全ては小さなコミュニティを、自分にとっての社会だと認識することから始まるのですね。

そこでこの一冊!

だいぶ話が逸れましたが、今回の本題です。

こちらの本ですが、宗教団体の在り方を考察した内容です。

ここで「なぜ宗教?」と思われるかもしれませんが、先程述べた「小さなコミュニティ」が、この本で書かれている宗教の在り方と通ずる部分があるのです。

例えば、こんな一節。

そもそも、現在不幸な人というのは、社会の提示する価値基準に照らして不幸なわけです。つまり、貧乏だとか、恋人がいないとか、出世できないとか、そういうことで不幸になっているのですから、あなたは彼らに社会とは別の価値基準を提供すれば良いのです。
『完全教祖マニュアル』反社会的な教えを作ろう/36ページ

社会とは別の価値基準を提供する。これは正しく先程のコミュニティで行われていることですよね。

社会の提示する価値基準では、「学校へは行ったほうがいい」とされていますが、それに適応できない人間に向けて「学校へは行かなくても良い!」と新しい価値基準を作ることで、ゆたぼんくんは救われました。

オンラインサロンの女の子も同じです。女の子がオンラインサロンへ入会した際の感想が述べられていました。

さとみさん
「『高校生?』って聞かれて、ここに居る人だから言ってみようと思って、『学校辞めたんです』って言ったら、『いいじゃん』みたいに言われて、え!?ってなって、それで。そんなこと言う大人いるの?みたいな。それが衝撃で」

引用元:
追跡!オンラインサロン
コロナ禍でハマる人たちhttps://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4528/index.html

これも、宗教を作る上で大事な要素となる「反社会的な教え」を踏襲していますよね。

また、完全教祖マニュアルには、こんなことも書かれています。

その迫害を受けることの利点ですが、まず、すぐに思いつくのが、迫害による組織力の強化です。(中略)外部からの一方的な批判は、むしろ彼らの信仰心を強化することにつながるのです。さらに、その批判が的はずれであればなおさらでしょう。
『完全教祖マニュアル』迫害に対処しよう/177ページ

ゆたぼんくんやオンラインサロンは、現段階ではまだバッシングのほうが多いです。そんな状況が続けば、より一層、自分の考え方を是としなければやっていけませんし、そんなコミュニティがあれば縋りたくなりますよね。

さて、こんな感じで、完全教祖マニュアルには教祖になるための内容が紹介されているわけです。

ここで留意してほしいのは、今まで引用してきた完全教祖マニュアルの内容は、読者が教祖となり、新たな宗教団体を作ることを前提として書かれているものだと言うことです。しかし、ゆたぼんくんや、オンラインサロンの女の子は、コミュニティを作る側ではなく、作られたコミュニティに属する側です。

つまり、そのコミュニティは、宗教で言うところの「教祖」に当たる人物によって作られたものなのです。

完全教祖マニュアルは、教祖となって成功することを目的としています。宗教を立ち上げるのは、教祖が成功するための手段でしかありません。

ゆたぼんくんやオンラインサロンにはまった女の子も、大人たちのさまざまな思惑によって作られたコミュニティに、セオリー通りはまってしまったわけですね。

そこで、僕からの提案です。完全教祖マニュアルを読みましょう。

手口を知ることは、自衛となります。

日本人にとって、宗教は胡散臭いというイメージが強く、もはや下手な宗教に騙される人は少ないでしょう。しかし、それらはあくまでイメージありきで拒絶しているだけです。宗教団体の勧誘が訪れるたびに、教典をしっかり読んで、話を聞いて、最終的に自分の考えとは合わないと判断して断る人なんてほぼ居ませんよね。
では、もし仮に今のような宗教へ対するネガティブなイメージが無かったとしたら? 少なくとも”話を聞く”、という点においての障壁は無くなります。宗教団体が主張している内容には何の違いもないにも関わらず、宗教というものに対するイメージの違いだけで判断が変わってしまうのです。

なので、頭のいい人は宗教の在り方はそのままに、コミュニティの名前だけサロンだなんだと変えて利用しています。今までには存在していないものですから、そこには宗教のようなネガティブなイメージはありません。

ただ宗教という字面で怪しいと決めつける人は、字面が代わるだけで騙されてしまうので、内容まで把握してしっかりと判断できるようになると良いと思いました。



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