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【自然の郷ものがたり#10】自然と共生する阿寒湖アイヌコタン。伝統を楽しむ、アイヌの案内人【聞き書き】

世界から高い評価を受けている阿寒湖アイヌコタンの木彫り作品。「風と光を彫った彫刻家」として知られる瀧口政満を父に持つ瀧口健吾さんは、自身も木彫り作家として、アイヌの精神を受け継いでいます。

亡き父より「イチンゲの店」を引き継ぎ、伝統を大切にしながらも、アイヌ文化の案内人として新しい取り組みをはじめたお話をお聞きしました。

瀧口 健吾(たきぐち けんご)
1982年、釧路市阿寒湖アイヌコタン出身。「イチンゲの店」を経営。木彫り作家・瀧口政満と、アイヌ民族である母の間に生まれる。アボリジニへの興味から、オーストラリアの高校へ留学。帰省後、姉と一緒に参加したカムイノミの儀式に衝撃を受け、アイヌに興味を持つようになる。現在は、阿寒湖でアイヌの伝統を受け継ぎながら、木彫りやガイドを通じて新しい表現を探求している。

※この記事はドット道東が制作した環境省で発行する書籍「#自然の郷ものがたり」に集録されている記事をWEB用に転載しているものです。

カムイノミとの出合いと、変化したアイヌへの思い

小さいころのことで覚えているのは、6歳くらいからこの辺の商店をウロチョロして遊んでいて、「もう健吾、遅いから帰んなさい」って言われるくらい。冬になると雪がガッツリ積もるので、そうなるとソリ遊び。夏場は三輪車で、坂の上からガーっと走って怒られたりとか。昔は「うるせーな」と思っていたけど、そういう大人たちがいて良かったかもしれない。わんぱくでしたからね。「20時には寝なさい」と言われていたんですけど、小学6年生から「夜、店の手伝いをするなら起きてていいよ」って言われていて。で、大学生のお客さんを捕まえて、「ムックリ弾けたら買っていってくれ」って。弾けたのに、大学生が買わないで帰るから、僕がギャン泣きするっていう(笑)。

でも、今だから言えますけど、アイヌのことは嫌いでしたね。幼い頃に、いじめられましたから。アイヌの特徴に、体が毛深いことがあるんですよね。だからプールの授業に行ったらバカにされて。親に泣きついて「プールの授業、行きたくない」って。あとは、石を投げられたこともありましたからね。泣いて帰って来て「アイヌじゃダメなのか」って思ったこともありました。

10年くらいに姉と一緒に北海道を回ってみようとなって。姉がアイヌの勉強をしているところに、ついて行ったんですよね。知り合いのアイヌの男性のところに行って、これからお祈りをするぞとなって、それがとてもかっこよくて。火を囲んでだいたい5人くらいだったんですけどね。アイヌの方々で一斉にね、一斉に違う言葉のアイヌ語でお祈りするんですよ。それがすごいかっこよく見えて、衝撃でした。涙が出ましたね、あれは。祈りを捧げることやアイヌの言葉が、こんなにかっこいいんだって。

そのときに突然目覚めちゃったんでしょうね。「あ、本当にアイヌ文化ってこんなにかっこいいんだ」って。そのカムイノミを見たときは本当にびっくりして、「僕もやってみたい」と思ったんで。カムイノミの影響が一番大きいですね、かっこいいと思って。それで祭具のことを調べてみたらおもしろくて。イナウとかさ、イクパスイとか。削りかけがついていると神聖なものなんですよね。近くのエカシのおじいちゃんが作ってくれたものもあるけど、恐れ多くて使えなくて、飾っています。そうやって、アイヌのことについて興味を持つようになりました。

彫り続けていく、伝統と探求

木彫りはね、高校生のころからちょっとずつやっていました。姉とカムイノミを見てからは、木彫りを仕事としてやっていこうと思い、阿寒湖に戻ってきて。温泉旅館で彫っていたんですよね。そのときに出会った嫁さんが絵を描いていて、僕が木彫りをやっていたんですけど。そこへずっと来てくれていましたね、父さん。見守ってくれていたのかな。2017年に父さんが亡くなって、「父さんの店、無くなっちゃうからね」って姉に言われて。やっぱり寂しいなって思ったんで。それで店を継ぎましたね。

健吾さんの作品。アイヌ語で「コタンコロカムイ」と呼ばれるシマフクロウの作品は、半分にアイヌの文様を、もう半分は亡き父の彫り方で彫られている

木彫りをするときは、ちょっと変わったことをしたくてね。半分は親父が彫ったようにコンコンして、逆側にはアイヌの文様を入れてみたりして。伝統を大切にしながら、新しいもの、独特なものを作っていきたいですね。たとえば、鹿の角を使った、針入れがあるんですよ。アイヌは鉄の文化が無かったので、日本人との交易で針を手に入れていたんです。その対価っていうのが、熊の毛皮1枚と針が1本。もしくはキツネの毛皮3枚と針が1本。だからどうしても無くしたくないっていうことで、こういう道具が伝わっています。こうした道具にちょっとした反抗心を加えて、薬莢を使用してみたりしてね。そんなのを作ったり。

木彫りの材料のなかだと、僕はカツラの木が好きですね、彫りやすいので。いろいろな種類があるけど、材は試しながらですね。一番重い木は、縞黒檀。真っ黒な種類の黒檀をバターナイフにして、鏡面磨きにして。そういうのは、すぐ売れちゃうんです。他にも、いろいろな材料が好きですね。鹿の角を彫ったり、象牙をもらって彫ってみたりとか。あと、サメの歯でピアスを作ったりもしています。でもやっぱり木彫りは、ずっと好きですね。まだ嫌いになっていないだけで(笑)。

ここの天井を見てもらうと分かると思うんですけど、いろいろあるんですけどね。僕が使っていたスケート靴がぶら下がっていたり。親父が残してくれたものなんですけど。だから僕も、親父のようにいろいろ残していこうと思って。一昨年とってきたギョウジャニンニク、マタタビの葉、エカシがくれたトバ、キノコを干していたりしています。そんな変な店ですけど。今はここで好きなように生きてますね、嫁さんに怒られながら(笑)。

天井からつるされた品々。一つひとつに記憶された物語が宿り、これからも更新されていく

アイヌ文化の案内人として

このパンフレットに載っているの、僕なんですけどね。「ガイドをするとき、全く違いますね」って言われますけど、髪が長くていかにもアイヌって感じでしょ?そのインパクトがまた良いかなと思って。ガイドは2020年の8月から始めたんですけど、その前は2年がかりでアイヌについて、いろんなことを勉強したんですよ。木彫りをしながら「あ~もう彫れない」ってなったらアイヌの本を読んだりして。人前に出るのはあまり好きじゃなかったんで、べらべらしゃべれるように勉強しましたね。お客さんも、人によって興味のフックが全然違うから。アイヌの精神性、唄、遊び、言葉とかさ。伝説を知りたい人には、エカシから聞いた話をしたりね。

たとえば、アイヌの精神性とか知りたいって人もいるので、そういう人にはガラスボトルの例をよく話しますね。ガラスボトル、それ自体もカムイなんですよ。なぜかというと、人間にはできない「水を保っておく」ことができるから。そしてカムイとアイヌって対等なんです、常に。もし瓶をこわして、かけらを踏んでしまって血が出てしまったら、ガラスのかけらはカムイじゃなくていいんですよ。悪いアイヌもいて、良いアイヌもいる。悪いカムイもいて、良いカムイもいるって感じで。でも、その壊れてしまった瓶底がありますよね。他の人が来て、「ちょっとコレもらえない?」って言って瓶底を使ったアクセサリーを作ります。そしたら、その人にとって瓶はまたカムイになる。だから、常に対等なんだよって。ガイドでもそんな話をしていますね。

ガイドはね、僕が楽しもうと思っています。それでお客さんからも「勉強になる」とか「おもしろい」とか言ってもらえると、嬉しいですよね。今はガイド向けに前田一歩園さんの研修があって、それに参加しているんです。このまま受けていけば、再来年からかな、「森の案内人」って資格がもらえて、普段は入れない「湖北の森」とか「光の森」とか案内できるようになるので。そうしたらコース設定とかも変えられるんじゃないかな。楽しみですね。

受け継がれたものを楽しく、消えないように

ここって、60年以上前から先輩のアイヌがシアターを観光客向けに作って、伝統的な踊りを見せてきた場所で。ずっと観光とともにあったので、伝統を大切にしながらも、やってきたことが先進的なんですよね。今だったら、アイヌ文化とデジタルアートを組み合わせたり。そういう「新しさ」を武器にね、今後も阿寒湖の暮らしをずっと続けていければなと、僕は個人的に思いますね。漫画でアイヌが取り上げられるようになってからは、ブームのような状態なので。外からお金が入っていろいろなイベントをやるなら、きちんと続けていけるように、僕らがアイヌとしての自覚を保たなきゃいけないですよね。

いろいろ続けていくためには、誰かが動かなきゃいけないわけで。自然を守るのも、アイヌの文化を伝えるのも。森でいえば、鹿よけのネットとかありますよね。あれは20年に1回、ネットを変える必要があるんです。網目になったものを巻いていくんですけど、木が成長するとネットが幹に食い込んでいくんですよね。それを外して、またゆったり巻いてあげて、それを繰り返す。最近も研修で、小学生と一緒にこの作業をしました。地味に大変なんですよね。でも森を守るために、誰かがやらないといけないこと。人の手が1回入ると、天然林もずっと人が管理しないとならないんです。

阿寒湖アイヌコタンにある「イチンゲの店」の前で、愛犬の円空と一緒に

アイヌ文化も、世代の移り変わりもあるけど、誰かが伝えていかなきゃいけない。でももし僕に子どもができても、子どもが僕と同じように木彫りやガイドをやりたいと言うかは、もちろん分かりません。正直、僕も今は自分の仕事で手一杯で。でも誰かがおじいちゃんおばあちゃんに話を聞いて、次の世代に伝えていかないといけない。そうしないと、受け継がれてきた言葉も物語も、消えていきますからね。

身近な木の話をすると、日本人は「土から木が生える」といいますよね。でもアイヌは、「木が大地を掴んでいる」と考えます。たとえば山の木を全部切っちゃうと、掴んでいた木がなくなることによって、鉄砲水がおきてしまう。環境って難しくて、そういうところも含めて前田一歩園の土地って、天然林の保全など、すごく自然のバランスがいいんですよね。空気が良いところにしかならない、サルオガセが生えていたりして。アイヌ語でニレクという植物なんですけど。そんなこともね、これからも楽しんで伝えていきたいですね。僕にとって、木彫りにもガイドにも共通していることは、楽しいことでしょうね。長く続けていくためには、それが大事だと思っています。

取材・執筆:清水たつや
撮影:崎一馬





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