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【自然の郷ものがたり#16】世代をこえて。灯し続ける、未来の明かり【聞き書き】

阿寒湖温泉の西側に位置し、民芸品などを扱う土産物店や飲食店が軒を連ねて並ぶ「幸運の森商店街」。2018年から商店街の役員のバトンが、親世代から子世代へと渡されました。

2021年には、商店街独自の取り組みとして「幸運の森Tシャツ展」、「バキ原画展」、「阿寒の森 間伐材アート展」などを企画し、新たな世代がつくる商店街の動きが加速しています。今回は、同世代の4人の店主に集まってもらい、切磋琢磨しながら一緒に次の手を打ち続けていく理由、それぞれの関係性について、思いを語っていただきました。

▼プロフィール(左から)
新妻 俊
にいづま・しゅん/1983年、阿寒湖温泉生まれ。新妻商店代表。釧路の高校を卒業後、札幌で医療系のIT企業に勤め、2009年に阿寒湖へ戻る。
干場 一幸
ほしば・かずゆき/1977年、阿寒湖温泉生まれ。民芸ホシバ代表。高校卒業後、テレビ局に就職。2002年、実家の土産物店の事業拡大の際に阿寒湖へ戻る。
長井 宏訓
ながい・ひろのり/1975年、阿寒湖温泉生まれ。幸運の森商店街会長。民芸ショップながい代表。札幌の高校へ進学し、就職。1999年に阿寒湖へ戻る。
岡田 実
おかだ・みのる/1979年、京都府京都市出身。木彫作家・実践工房アシリ店長。阿寒の森 間伐材アート展代表。幸運の森商店街副会長。2005年、26歳のときに大自然への憧れから阿寒湖へ。

※この記事はドット道東が制作した環境省で発行する書籍「自然の郷ものがたり 2」に集録されている記事をWEB用に転載しているものです。

灯りに込められた思い

―幸運の森商店街は夜になっても明るいというのが印象的です。

岡田 僕もはじめて阿寒湖温泉に来たときに驚きました。商店街のお店が22時ごろまでやっていて「夜の街が明るい」ということが、すごいなと思ったんです。

長井 阿寒湖温泉って、北海道でも特殊な温泉街で「夜型の温泉街」なんです。アイヌコタンの最後の踊りが21時ごろにあって、お客さんが帰る22時過ぎまでは「商店街の明かりはつけよう」と決めているんです。でも本当は予算がないんですよ。どの店も電気代は自分たちで賄っているんです。
商店街に後継者がいないとか、空き店舗が増えていく問題がある中で、僕らが「これをやりたいんです」と親世代がやっているお店にお願いすると協力してくれるんです。お客さんに来てほしいという思いは一緒なんです。本当にありがたいですよね。

干場 そういう思いがなければ、この商店街が前向きに進んでいこうという気概がすでになくなっていたかもしれないですね。みんなの思いやつながりも含めて、一緒に盛り上げていきたいという気持ちが強いです。

新妻 一方で僕たちが小さい頃は、人と人との付き合いはあったけど、お店とお店の付き合いって、あまりなかったですよね。親からも「よその店には行くな」と言われていたので。

岡田 僕も阿寒湖温泉へ来た頃、「他人の店には、入っちゃいけないよ」って言われたことがあるけど、ライバル意識があったからなんでしょうね。

長井 やっぱり同じ商品を扱っている影響もありますよね。お客さんとの会話で「あっちの店よりも安くするよ」とか言うじゃないですか。昔はお土産屋といったら「木彫りだったらなんでも売れる」って言われるくらい人が多かったし、お客さんの奪い合いみたいな感じがありました。

新妻 僕が小さい頃は朝6時から店を開けて、夜12時をまわっても浴衣と下駄で、お客さんが商店街を歩いていた時代でしたよね。親を見ていて本当に忙しそうだったと記憶しています。

干場 店先にいた木彫り職人も少なくなりましたよね。

長井 昔は店の前で彫っている木彫り職人がいたんです。今は店先で彫る人が本当にいなくなった。主流だったお土産としての木彫りが、時代とともに作っても売れなくなってきたことが1番の理由じゃないかなと思います。
一方で阿寒湖温泉出身じゃなくて、外から来て、「木彫りの魅力に魅せられて」という岡田くんみたいな熱心に制作活動をしている人が増えてきているよね。

岡田 昔はきっと、売れるものをとにかく彫るということが最優先だったんだと思います。当時から芸術的なものや自分の好きなものを彫りたいっていう人たちはいたけれど、多くの人は好きなものを彫っている時間がなかったんじゃないかなと。今の僕らは生活していくために、お土産用の木彫りも作るけれど、余る時間がある。そうした時間に、好きなものを作ったり、好きな創作活動もしていられるのが楽しいところもあります。

前に進めるために必要な役割

岡田 よそものの僕が、みんなとこうして話せる関係になったのは、商店街の活動に参加して仲間にしてもらったことが大きいと思っています。今、商店街の若い人たちの間には、「この世代でなんとかしていかないとダメだよね」という雰囲気はあって、一緒に考えていく中で自然と飲み仲間になったというか(笑)。

干場 そこが昔と違うかもね。昔も飲みには行っていたんだろうけど、俺たちの世代は関係が濃くなった感じがします。「他の店に行くな」がなくなったのも、一緒になんとかしようという関係性になってきたからなんじゃないかな。

長井 危機感が増して一緒に取り組もうという関係性は強まっているよね。地域外出身の岡田くんのような存在があるのも一つだと思います。岡田くんがこちらにきた当初は関わりがなかったんです。
それでも商店街活動で関わっていくうちに、考え方がしっかりしていて、かつ僕らが思いつかないような発想や刺激があることに気づいて、「仲間でいてほしいな」と僕は思っているんです。

岡田 照れますね(笑)。

新妻 外の視点から見てくれるのがいいですよね。ここで生まれ育った人間じゃ気が付かないようなことも指摘してくれる。阿寒湖温泉の自然って、ずっと住んでいると当たり前になって分からなくなるじゃないですか。岡田さんから「こんなところ良いじゃないですか!」と言われると納得しちゃいますよね。

岡田 商店街もずっと「若返りを図らなければ」と言っていて、僕みたいな外から来た人も商店街の活動に呼んでもらって入れるようになったんです。こうした動きは、長井さんが会長になってから加速したように感じます。まとめるのが上手いし、気遣いもできる人だから。
今、商店街が僕らに引き継がれて「この世代でなにかしないと」ってなっているのは、この世代を引っ張ってくれる長井さんに代わったことが大きいと思っています。

干場 そうだね、いろいろ言いやすくなったし。長井さんもいろいろ聞いてくれますよね。

長井 僕は「次の会長は、お前がやれ」と言われただけで。今まで観光協会などにも入っていましたが、本当は苦手で(笑)。でも、会長を引き受けてから視野は広がりました。
阿寒湖温泉の現状と課題をみて、それに対して「商店街はどんなことができるのか?」と、阿寒湖温泉全体と商店街の立ち位置を考える視点で物事を考えるようになったことが、一番大きな変化だなと思います。阿寒湖温泉は、温泉はもちろん、登山、雪質の良いスキー場、スケート、釣り、マリモをはじめとした自然、アイヌ文化と様々な魅力があるんです。
でも、それぞれ関わっている人たちが単体でやっている印象もあるんですよね。「横のつながりは、まだ薄いんじゃないかな?」と感じていて。「こんなことやってみたい」といった思いを話してくれたら、まず実行するために動きたいと僕は思っています。前に進めるために上の世代と下の世代のパイプ役になり、スムーズに事を運べる「まとめ役」になっていけたらいいなと思っています。

新妻 実際に、上の世代も下の世代も「長井のヒロが」とか「宏さんが言うんだったら」となっていますよね。

商店街で続けていく、新しい取り組み

―Tシャツ展はどのような経緯ではじまったのでしょうか?

干場 「この商店街でなにかをしていこう」という話になったときに、例えば隣のアイヌコタンだったら、木彫り職人も多く独創的なものも仕入れている。じゃあ、幸運の森商店街は?と考えると、パッと思い浮かぶ特徴がなかった。
それでも、みんなでこれまでなにをしてきたか話し合いをしていると、各店舗でオリジナルTシャツを制作している共通点があることに気づいたんです。「Tシャツをまとめて展示したら面白いんじゃない?」という盛り上がりの中から「Tシャツ展」が動き出したんです。

長井 Tシャツ展は反響もあり、来店につながることもありました。でもTシャツじゃなくてもよかったんです。大事なのは「なにか新しいことに舵をきっていかなければ生き残っていけない」っていう思いがあって、とにかくなんでもやっていこうと。
岡田くんを中心とした「阿寒の森 間伐材アート展」もそうだし、阿寒湖温泉の商工会青年部で実現した「バキ原画展」も、その根っこには「なにかしないと」といった、共通の思いがあったからできたんだと思うんです。

岡田 間伐材アート展は、幸運の森商店街だけの取り組みではないんですよね。観光協会を窓口に前田一歩園財団から間伐した木材を提供してもらえるようになったことが大きいです。阿寒湖周辺は国立公園に指定されていることもあって、阿寒の木材で作品を作ることがなかなかできないんですよね。
そうした今までにない取り組みも、阿寒湖温泉の魅力を伝えるひとつじゃないかなと思います。その取り組みに幸運の森商店街も乗っかってくれて、間伐材作品の商店街での展示も実現しました。

干場 本当いろいろあって大変ですけど、それでも阿寒湖温泉でやっていこうって思えるのはなぜなんでしょうね?

長井 やっぱり「生まれ育った街」だからだよね。阿寒湖温泉って、魅力がある観光地で、僕は「決して、ここは暮らしていけない街ではない」って思っています。でも、「このままではいけないからなにかをしていきたい」と強く思っているのは、みんなと一緒で。
それと、外から来る人たちを呼び込むことも、僕はひとつの手だと思っていて。岡田くんみたいな人に「興味本位でも阿寒湖温泉に、半年くらい来てみませんか?」とお試しで暮らす取り組みを推し進めたいなと思っています。

岡田 人は呼びたいですよね。木彫りの後継者も増えてもらいたい。阿寒湖温泉という場所に来てもらって「住みながらなにかをやっていく人」が増える体制づくりが、今後できていったら良いなと僕は思います。

新妻 僕は阿寒湖温泉で仕事を続けていくことでいうと、親から受け継いでいるものが大きいです。ここから離れられないと思っています、良くも悪くも(笑)。たまに「釧路とか札幌へ行って、仕事探して生活するほうが楽に暮らせる」と思ったりもしますけど、もう家業みたいなものですね。

干場 そうだね。それに今の感じ、俺は好きなんですよね。「この人たちと一緒に商店街を盛り上げたい」という気持ちが強い。お店も少なくなったら寂しいし、やっぱり地元愛ですかね。

岡田 ここは本当、人のつながりが温かいから楽しいと思います。青年部の祭りの盛り上がりかたとか、バカ騒ぎをちゃんとするという(笑)。そうした関係性って、田舎にあって都会にはなかったりするのかなと思います。
それと、この先やっていくことで考えると今「マイクロツーリズム」という言葉がありますけど、もう1回「近場へアピールしていくこと」って大事なんじゃないかなと思っているんです。インバウンドで来ていたお客さんは、使ってもらえる金額は大きいかも知れないけど「3年に1回来るかどうか」じゃないですか。
それを近場の人に「1か月に1回」来てもらえるようになにかできないのかなって。「釧路近辺の人に来て楽しい」って思ってもらいたいです。

長井 実は阿寒湖温泉も、もっとこの先やっていくなら「昼型の温泉街」にしたほうがいいように思っているんです。昼に遊べるコンテンツもたくさんある。踊りだって昼に見てもいいし。
そうなると夜遅くまで店を開けておく必要もなくなると思うんです。そういうのも見越して、お客さんにもっと来てもらえるようにできないかなって。

岡田 夜型もやりつつ、昼型のイベントとかもやりたいですね。昼に打てるものをどんどんやっていって、昼型に変わればいいなと思います。今からそうした動きをつくりだして、近い未来には実現できるようにしたいですね。

取材・執筆:清水たつや
撮影:清水たつや、名塚ちひろ、崎一馬


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