見出し画像

【信じるとは】 大河ドラマ 「鎌倉殿の13人」 第19話

九郎殿は人をお信じになりすぎたのです。

英語のgullible という言葉が浮かんだ。

他人のことをすぐ信じてしまう騙されやすい人、というnaiveにも通じる言葉だ。(間違われがちだが、日本語の「ナイーブ」は「うぶ」の意味あいが強くなり、ネガティブな含みを持つ英語のnaiveとは大分ニュアンスが違う)

ある種、人を疑うことを知らない、真っ直ぐな義経。戦の習わし等の、相手との対話のない事柄だと勝利への道筋や、真実の核などの全てが見通せるのに、対話が生じると、相手の言葉に惑わされてしまう。

義円、義仲、義経と「義」の名の通りに生きた兄弟(と親族)を死に追いやった行家の言うことも、もぞもぞしながら信じてしまった結果、京を落ちのびることになる。義経の栄枯盛衰サイクルの速さたるや

後妻打ちを里ちゃんに再利用させ、そこで土佐坊を登場させ、さらにそれを行家に付け込ませ、頼朝が義経を狙っていると思わせる。土佐坊を差し向けたのは頼朝だと行家が主張する場にいるのに、「あれは私が…」とは言い出せない里。

その結果、あれよあれよという間に頼朝と義経の間の溝は修復不可能なまでに開いていく。

頼みの綱の藤原秀衡も、義経可愛やとは描かれない。こちらはこちらで、自分の利を第一に考え、隙あらば全てを奪ってやろうと虎視眈々と狙っている。この秀衡なら、義経が奥州に落ち延びてきても、さっさと鎌倉殿に差し出してしまうだろう。

「あんな無茶させる上司の元にはもう参集しとうない」と部下も寄り付かず、叔父には裏切られ、兄上とは決別し、秀衡も頼りにはできない。

人間関係が崩れるのって、最後は本当にあっという間。悪魔のような運命を紡ぐ三谷さんが恐ろしい。(褒めてます)

真似をしてはいけない

九条兼実の聞き返しと相まって、今回の御所はコント会場と化していた。

その会場に君臨する後白河法皇にとって、九郎を操ることなんざ、赤子の手を捻るようなものだったろう。

だが、そんな後白河法皇とがっぷり渡り合う辺りに、北条親子の今後が伺える。平家が滅び、戦の無い世になった時、必要なのは武の天才ではなく、凡庸な政治家なのだ。

芽衣ちゃんの「この人だって頼りになることもあります」発言やら、里vs静のキャットファイトやら、面白ポイントも沢山あったのだけれど、最後の最後に完全に落武者状態になった九郎殿が出てきて軽やかさが全て無いことになりました。

自信をつけるには何がいるか。経験でござるよ。

義経にはもう時間が無いので、私が代わりに、しいさまの金言を受け取っておきますね。

来週もしんどい回になりそうです。

明日も良い日に。



この記事が参加している募集

#テレビドラマ感想文

21,638件

#日本史がすき

7,239件

言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。