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11/365 【目から星が流れる】 少年社中 「モマの火星探検記」

2020年、感情noteを始めます。

心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。

感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。

写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。

でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。

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僕たちはみんな、繋がっているんだ

人類初の火星探検に挑む宇宙飛行士モマと、父が宇宙飛行士だった少女ユーリの物語。彼らの2つの物語は、時空を超えて繋がっていく。見えるものも、見えないものも、生ける者も、死せる人も、これから生まれる者も、これまでに生きていた人も、みんなが少しずつ交差して、触れ合って、少し寂しくなって、それ以上に嬉しくなって、進んでいく。

「憧れは未来を作る原動力なのだから、やりたいことをやればいい」おじさんはそう言って、ユーリの背中を押す。そして問いかける。「宇宙との境界線はどこにあると思う?」

境界線は、多分どこにもない。例えば、顕微鏡の中にいる2つのバクテリアの境界線が、宇宙から見た地球の姿とよく似ているように、あなたと私の間の境界線も、便宜上、肉体が分かれているだけなのだ。

生と死の境界線も、多分そんなにぱっきりとしていない。不可能と可能の境界線すら、実は曖昧だ。

宇宙は自分のいるこの場所から始まっている。

そしてこの宇宙で、十分に大人になったオトナたちは、時にやるべきことをやるしかない。そこには何かを諦めることも、何かを切り捨てることも含まれる。

ここにサンドイッチとコーヒーがあればピクニックだね。

切り捨てる側と切り捨てられる側の間で交わされる、大人としての優しさ溢れる短い会話だ。誰もごめんなんて言わない。ごめんなさいに逃げるのはとても安直だ。だから、そんな逃げは打たない。心から血をだらだら流しながら、軽口を最後まで叩く。

泣くもんか、と目ん玉ひん剥いて見届けた。

休憩なしの2時間10分。特に後半はあっという間だった。コメディリリーフなセリフと、シリアスなシーンとの緩急で、泣くのを堪えたり笑ったりハッとしたり動揺したり、感情ジェットコースターに揺さぶられっぱなしだった。

キュリオシティが送ってくれた2年前の火星の様子。モマが見た光景も、こんな感じだったのかしら。どんなにここで風が吹いても、その音を聞く人がいなければ、その音は存在しないのだ。

ここへ向かうロケット発射を踊りで表現するのも素敵。

「初めまして」と、冒頭の矢崎さんの滞空時間と、井俣太良さんの優しい目が忘れられない。

2020年舞台始めも、発射よし。


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