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44/365 【爽やかに毒を少々】 舞台「グッドバイ」

2020年、感情noteを始めます。心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。

その点、感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。

写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。

でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。

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好きと言われれば嫌いと聞こえる。綺麗と言われれば醜いと響く。田沢さん、人を動かすのはお金じゃないよ

小説「グッドバイ」は、太宰治が新聞連載用に13話まで書いた時点で入水自殺を遂げ、未完のまま絶筆となった作品。これを下敷きに、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんが書き上げた戯曲の再演が、今回の「グッドバイ」だ。

「目つきが助平な遺影」のお葬式のシーンで幕が開ける。文芸雑誌「オベリスク」の編集長、田沢も参列者の一人だ。ということは、亡くなったのは作家だろうか。もしかしたら太宰治本人であるやも知れない。一気に妄想が花開く。

田沢は闇稼業から手を洗い、数多いる愛人たちを整理した後、愛する妻を仙台の疎開先から呼び戻し、双子の娘共々幸せに暮らす決意をする。だが、可愛い愛人たちを無用に傷つけたくはない。考えた末、愛人たちが自ら身を引くように促す為、偽の妻を同行して彼女らを訪問することにする。

その先々で... というドタバタ喜劇。

入水自殺なんてするもんじゃない、だの、連載途中で女と自殺した作家の気持ちが分かる気がします、だの、太宰オマージュがあちこちに散りばめられている。そもそも「数多の愛人」というキーワードだけでも太宰ワールド全開なのだが、途中でちらりと言及される、その他の昭和の文豪らの女遊びの酷さったら無い。谷崎の若い女狂いは有名だけれど、他も似たり寄ったりだったのね。

田沢もあちこちに愛人を持つが、あっけらかんとしているし、どの女性もちゃんと愛していたような感じがするから最終的には憎めない。太宰もこんな感じだったのかしら。(違)

偽の妻、キヌ子を演じるソニンちゃんが最高に可愛い。どんな逆境でも絶対に生き抜いてやるという生命力が美しい。食べ方や言葉が粗野であっても、自分に嘘をつかない魂の美しさはしっかりと周りにも届くものだ。かくありたい生き様だった。

舞台美術も美しい。ケラ美術の醍醐味でもあるプロジェクションは封印され、冒頭の俳優紹介もバナーや看板等、様々なアナログ手法が駆使されており、それが逆に昭和なおしゃれ感を醸し出していた。背景の、舞台面から天井バトン高さまで生い茂る緑の植栽は一切変えず、その手前に立つパネルの色味で、次々と場面を転換させる。パネルのパリッとした色とそれ以上にパリッとした切り替わりが見事だった。

鮮やかな場面転換の連続で、3時間10分があっという間に感じられた。

「女は子を産むもの」という女性蔑視発言や、GIは梅毒持ち、という偏見が時折出ては来るけれど、そういう時代だったのだ。それを揶揄して笑いに変えていけるのも、舞台の醍醐味なのだと思う。

日直を「ひじき」と読んだ女(むしろそう読む方が才能!)、キヌ子を映画版では、小池栄子ちゃんが演じる。そして、「あひる口」でキスを迫る姿が可愛い藤木直人さん演じる田島は、映画版では大泉洋さん。

両者を見比べられるのも同時期上映、上演ならではの醍醐味だ。公開が楽しみ!





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