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【かりそめとは】 新海誠 「すずめの戸締り」

行ってきます

たくさんのたくさんの「行ってきます」が、「あの日」にもあったはず。

「行ってきます」と「お帰り」は対の存在のはずなのに、対になることなく、終の言葉になってしまった人々の「おかえり」は、どこへ帰ればいいのだろう。

行き場所を失ってしまった想いは、大地に染み込んでいく。その想いが、ある閾値を超えてしまうと、次元の隙間から漏れ出してしまう。

生者にだってそんな瞬間はある。環さんに起きたことは、きっとそういうことだ。

あなたなんていなければ

心の奥にしまい込んだ、出すことの無かったドロドロとした想いが、溢れ出てしまった瞬間だった。

あの発言を撤回しない環さんの嘘の無さが、好きだ。でも、それだけじゃない、それ以上のことがちゃんとある、ときちんと伝える。無かったことにしないことで、浄化される思いがある。

今度は人間がやるべきだ

サダイジン

神頼みを万能薬にしてはいけない。人もちゃんと、やれることをやらなければ。

神様だって、お役目がイヤになることもきっとある。遊んで欲しいことも。ダイジンは、子供のうちに、要石になってしまったのかも知れない。そうだとしたら、そりゃ、遊んで欲しい、愛されたい、という本音を出したくもなるだろう。大人のサダイジンとは、違って当たり前。

ただ遊んで欲しいからお手伝いをしていたつもりなのに、すずめに誤解され、「好きじゃない」と突っぱねられてやっせやせのガッリガリになってしまったダイジンの姿があまりにも不憫だった。心は、愛がなければ、ガッリガリになってしまう。

それでも、そんなガリッガリの姿になっても、最後までダイジンは着いて行く。言う先々に、幸いを降り注ぎながら。

周りに誰も味方がいないと思った時に、思いだそう。未来の私は、絶対に、私の味方だということを。

劇中に何度か出てきたあの壁は、多分宮古市の壁だし、あの何もないのっぱらも、宮古市だと思う。

命がかりそめであることは知っています。

扉の向こうは、「時が同時に存在する場所」だと言っていた。でも、今ここだって、時が同時に存在する場所だ。「今」には、過去も未来も含まれているのだから。

数字としては過去に属することになっていく2022年の戸締りに、見られて良かった。

メリークリスマス!

明日も良い日に。


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