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権力を権力たらしめているものとは: 「タージマハルの衛兵」

帝国という組織のくびきから逃れられない者。志尊の冠を抱く者の理不尽さを感じつつ、さりとて完全には抗えず、抗えない自分の弱さを恥じて悶えながらも、考えてしまうと目の前の現実が辛すぎるから一時思考停止して現実逃避する者、衛兵フマーユーン。

想像力を働かせ、何故?を問い続けてしまう、自由奔放なその友人。下っ端の命令される側であるにも関わらず、疑問を声に出してはしまうが、逃亡するには至らない、衛兵バーブル。

この幼なじみ2人の会話だけで物語は進む。

2人はタージマハル建設に携わった2万人の手首を切るよう、皇帝に仰せつかる。タージに匹敵するような美がもう2度と作られないようにするためだ。

だが、当の権力者の姿も声も一切出てこない。皇帝シャー・ジャハーンのご意志は、衛兵がお互いに語って初めて判明する。彼らは皇帝の命令には逆らえず、機嫌を損ねないように気を使い、そして最後には、皇帝の権勢や栄光を守るため理不尽な刃を振るう。タージマハルの設計者本人に対しても。

その結果流されるおびただしい血の泥濘の中で、2人は想像の発明品の話をする。星まで飛んでいけるエアロプラットや、持ち運び式の抜け穴。ここではない場所に運んでくれる手段の夢想話をしながら、彼らは更に、命令以上の使役をする。

血だらけの刑場の掃除をし始めるのだ。

掃除道具で血を流すぴちゃぴちゃという音。あっという間に紅く染まる、雑巾がわりの白いタオル。背後の籠に放り込まれた無数の手首から先だけの、手。まだそこここに転がったままの、手。

権力を行使するのは権力ではない。権力には抗うことができないと信じている者である。権力を恐るべきものたらしめているのは個人の恐怖心である

内田樹さんのこの言葉に、すべてが集約されている。

この世に美はまだあるだろうか。美を作るものを殺してしまったら、美は死んでしまうではないか。

僕が、美を殺した。

あの日ジャングルで見た、ピンク色の湖はまだあるだろうか?そこから無数のフラミンゴたちが羽ばたいた美しい光景は、まだ存在するだろうか。白檀の香り立つ、木の上の筏は?

美醜、権力と従、自由と従、創造と破壊、強さと弱さ。色んな対比が盛り込まれていた。

フマーの葛藤に共感しすぎて、おろおろした。バーブルのようでありたいけれど、どこかで権力におもねっている自分。私の声なんて小さすぎて届かない、とびびっている自分。それでも美を感じ、懸命に考え、ぐるぐると思考の迷路に入り込んでしまう自分。その行き着く先を見せられたようで、ゾッとした。

成河さんのマッドさと、弱さ故の葛藤と、辛さを言い訳にせずに受け止める強さと、最後の、絶望すら許されていないような、生きたままの孤独にゾワゾワ。

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ロビーでお出迎えしてくれたフマーとバーブルベア。

劇団イキウメの「終わりのない」、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの「ドクターホフマンのサナトリウム」、ナウシカ歌舞伎の王蟲、そして本作全ての共通項が、「個と全」。これら全てが今年後半に上演された作品だ。

無意識でみんな、繋がってる。

ゾワゾワゾワゾワ。




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