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【書くことの意味とは】 大河ドラマ 「光る君へ」 第15回

書くことで、己の悲しみを救った

「源氏物語」を着想した(と言われる)石山寺の登場でした。

これまでも何度も登場した「蜻蛉日記」をここで絡め、「書くこと」と「妾」で良いのか問題を浮き彫りにする脚本、すごく無いですか。「命を燃やして人を想うことは素晴らしいけれど、妾は辛い」とまで尊敬する作家に直に言ってもらえたら、数年前の自分の決断は、ほろ苦くても正しかったのだ、と思えるようになるのではないかしら。

小説に救われたことが多々ある身としても、コトバオタクとしても、響くシーンでした。

兄上は変われます。変わって、生き抜いてください。

こう言ってくれる人が1人でも周りにいたら、人はきっと、実際に変わることができるし、救われる。道兼もまた然りです。

今後、唯一自分を最後まで見捨てなかった道長のために、「摂政の首を得て」自分を含めたつゆ払いをする… という選択を、道兼はするのかも知れません。それは道長に対するせめてもの愛情表現なのか、悔恨の意か、はたまた兄への、ひいては父への報復か。いずれにしても、兄も自分もいなくなれば、道長の時代が来るわけです。道兼、お前はなんて生き下手なんだ… (注:妄想です)

ところで、その道長ですが。「大納言」と呼ばれた時の「はい」と答えた声の響きがめちゃくちゃ雅で、脳内再生される内裏の方々の「はい」のまんまの響き方でした。なんなら今話で一番心に残ったセリフは、この「はい」だったのですが、それを冒頭に持ってきても何のこっちゃになるので、控えることと致しましてございます。

声を尋ねて暗に問う 弾く者は誰ぞと
琵琶声は停(や)み 語らんと欲して遅し

琵琶行

長恨歌に続き、白楽天の漢詩が登場。ぬぬぬ、このあたりの素養が足りぬ。「おごれる者たち、久しからずや」(平家物語)くらいならばすぐに分かるんだけどなあ… 大陸系が弱いのです。

でも、平安時代の日記や物語の中には、大陸系の詩を参考にしているものも多いので、ついて行かねばなりませぬ。琵琶モチーフも、ね。

「綺麗…」とお目目がハートマークのききょう改め清少納言の女房参内、賄賂や横領などの今にも続く政治の黒い面、「この親にしてこの子あり」で久々に登場した内裏のブラックゴシップ、「実資か、お前は」の2世議員問題、伊周vs道長の予兆までを盛り込んで、今回は終わりです。

いや、盛り込みすぎくない?!

明日も良い日に。

追伸:あ、そういえば、女子二人旅とか、平安時代のマフラーとかもあったな。





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