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【外道とは】 ゲキシネ 「朧の森に棲む鬼」

外道?冗談じゃねえ、これが本道だよ

いっそ清々しいほどゲスな悪党が主役だった。ゲスでクズでどうしようもなくセクシーな悪党をやらせたら仁左衛門の右に出る者はいないと思っているけれど、それに通じるものがあった。市川染五郎(現松本幸四郎)はもしかしたら、次の仁左衛門になるのかも知れない。

どこぞの田舎の小倅が、朧の森の三人のおぼろたちと、己の生き血(と命)と引き換えに王道を得るという取引をする。シェークスピア・ミーツ・ファウストという意味でも王道。ただし、「自分で自分の命を取る」ことを条件に。

舌先三寸で敵も味方も次々と欺いていくライ。賢い悪人ってどうしてこんなに魅力的なんだろう。

そのライが次から次へと繰り出す嘘に信憑性を与えるのが、彼を兄貴と慕うキンタの存在だ。「人にバカにされても、バカにしたことはない」バカなキンタが側にいるから、周りはライを信じる。こいつがこれだけ慕っているのだから、ライも信用に値するに違いない、と。

ライの企ては次々と成功していく… かに思える。策士が策に溺れるまでは。

自分の嘘で人を惑わせてきた当人が、シュテンの嘘に惑わされる。だが、実はシュテンの命を賭けたペテンより前に、ライは自分で自分の首を絞めていた。人は気づかないうちに破滅への一歩を踏んでいるものだ。

悪党が情に流されたら終わりだ

キンタにとどめを刺せなかったことこそが、「自分で自分の首を絞めている」、すなわち、自分で自分を殺す、に繋がっていく。「何か嫌な予感がした」から取ったすり替えの行動には、特に嘘は無かった。本能に従った行動には、相手を騙す気持ちは無かったのだ。

純粋な悪の中に残されている、自分でも気づかないほどの「情」。そんな些細なエネルギーが悪本体を倒すことになる。どんなに絶対的に思える独裁者も、塵芥にしか思えない個々人の力で、いずれ滅ぶ。

正義じゃねえ。それは復讐って言うんだよ

「正義」をかざす者の大半に、多かれ少なかれ当てはまる真理だ。自分の加害性を認めたくないという心理は、自分の行動を正当化する術を探す。行き着く先に毎度毎度選ばれる正義の身にもなってみろ。

更に、復讐相手のことで頭がいっぱいな状態は、愛とも憎しみとも呼べる。人間は、常に多面的だ。心も、身体も。

朧の森を真っ赤な嘘に染め上げろ!それが俺の最後のペテンだ!

「蜘蛛の巣城」!!!!なラストに至る最後の最後まで、ライは立派な悪だった。義賊ではない、ただの俗。純粋な、穢れのない悪。そんな姿がどうしようもなく魅力的に見えてしまうのも、人間の心があやふやな証だ。

今はコンプラ的にできないシーンがてんこもりだったけれど、演出を変更すれば再演の可能性もあるのかしら。あの滝や川を、ぜひリアルで体験したい。

年末には歌舞伎NEXT版がある。チケット、取れますように…

明日も良い日に。



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