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【善児とは】 大河ドラマ 「鎌倉殿の13人」 第11話

善児、わしに仕えよ

メンタルやられっぱなしの回でした。

よくよく考えれば、冒頭のあっさり振られる義時に対する、三浦義村山本の、「振られてからが勝負!」という時空を超えた宣言があったり、相変わらずの姉妹と義母のコメディリリーフの時間があったり、全成と実衣ちゃんの青春恋物語も一気に進んでいたり(実衣ちゃん、髪留めどころか全身赤!笑)、コメディドラマの尺の方が全体的には長かったのに、その合間に挟まれる、短くも粘着質な男どものドロドロ策略劇で、心にヘドロが溜まっていく。

鎌倉が、ありとあらゆるサイコパスの見本市みたいになっている。

お茶漬けかき込むみたいにあっさり人を殺した後で、平然と酒を飲めるあなた方の神経回路、一度かち割って見せて欲しい。

鎌倉殿に認められるには、西へ行き、手柄を立てる。それしかない。

義経が、ただの子供っぽい妬心から義円を陥れるために放ったこの言葉、まんまブーメランで返ってくるのはもう間も無くのこと。因果応報とはこのことか

あなたも西へ行ったら最後、破滅が待っているんやで、なんて口が裂けても言ってやんない。←#義円ぴえん

義円が兄上に宛てた手紙が見つかったのがせめてもの救い。裏切り者として退場しなくて良かった... と思うものの、それを見ていたのが梶原景時とか、三谷脚本恐ろしすぎる。

蛮行がお嫌いで、おかしなものを見過ごせない景時と、どこまでも大人にはなれない荒武者の義経、ものすごく反りが合わなさそうで、今後の展開が血の味とともに口の中に広がっていく。あああ、怖い。見たくない。でも見たい。

義経の嘘をつく時、人を陥れるときの死んだ目の危うさなど、歌舞伎や琵琶で描かれている義経像とは全く違う。本当はどんな人であったかなんて、我々には知るすべは無いのだけれど、こういう人であったという世界線もあり得ると思えるのが不思議。

真実は人の数ほどあるけれど、事実は一つです

令和の世で、あなたは整くんとなってこんなことを言うのだよ、義経くん... 

なんて真理の心理なのだろう。

許さなくてもいい。それでも一緒にいるべきです。

誰かを許していない人の集合体が、初期の鎌倉幕府だったのかも知れない。お互いに身内の誰かを殺されている人の合議体なんて、やはりどこかが狂ってる。

そりゃ、宗教に頼りたくもなるもんさ。って、出家した人たちですら... あわわわわ。

時とはそういうもの。人と人との繋がりとは、そういうもの。

かけた文脈では優しい言葉だったのだけれど、こうやって切り取ると、なんと無常であることか。

善次は、これから殺されるあんな人やこんな人全てに関係してくるんだろうか。

少なくとも政子に男子が生まれるまでは生きてるってことだよね。

その後もなんなら生きてるよね...

善人は長生きできない、とは某スペースオペラのセリフですが、時代を問わず真理なのでしょうか。

これまでが物語の序盤に過ぎないことに肝が冷えた第11回でした。

明日も良い日に... (切実)



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