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101/365 【続:考察】 自然からエネルギーを得る私が、どうエネルギーを充填しているか

毎日noteサークルを主催している青木さんに指摘され、自然からエネルギーを得ている私は、具体的にはどうエネルギー補充をしているのかを考えてみた。

びっくりぽんな結論が出た。

私は、自然の中で、コトバを手放しているのだ。

固定記事にも書いた通り、私はコトバに恋をしているし、それを生業に出来ている現状をとてもありがたいと思っている。

仕事をする上での自分のVisionは、

「物語は世界を変える」

それを実現する上での自分に出来ることは、

「物語を紡ぐコトバとコトバを繋ぐ透明な橋渡しを」

だと思っている。

だが時々、コトバの海に溺れてしまう。ぐるぐる回る洗濯機に放り込まれて目を回している感じになったり、コトバの肺炎を患うこともある。

昔は、溺れるギリギリまで粘ってから本物の海に逃げていた。ダイビングに行っていたのだ。

海の中には、音としてのコトバが無い。そもそも海は、陸の生物が遥か昔に手放した別世界だ。その故郷に、私は避難していた。

最近は、ギリギリ状態になる前にエネルギー切れに気づけている。だから、別世界という極端な世界でなくても充電できる。水辺を選ぶことは変わらないけれど、川でも湖でも良い。滝があれば、尚最高、という具合だ。

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2月に天岩戸神社へ行った際、友人が取ってくれた写真だ。風景写真だと思っていたけれど、よくよく見たら自分がいてびっくりした。

ゆきさん、自然に溶け込んでいましたよ

友人も後からそう言ってくれた。

どうやらそういうことらしい。

コトバに片思いをしている自分は、コトバを一旦手放して充電している。そして充電したエネルギーを再びコトバに注ぎ込む。それを、人からエネルギーを得る人に届けている。

人からエネルギーを得る人も、コトバを少しの間手放すことで、チャージできるのかも知れない。だから、その有効な方法としての瞑想が流行ったのかも知れない。

「いのちのおむすび」で知られる佐藤初女さんが生前おっしゃっていた。「みんなおしゃべりが過ぎるのよ」と。

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3年ほど前の初女さんを偲ぶイベントで振る舞われた初女さんのおむすび。静かに、美味しく頂いた。ポツリポツリとコトバを落としながら。

コトバには幾つもの側面がある。その内の一つに、バリアー機能がある。大人は、コトバのバリアーを身の回りに張る。人だかりには、様々なバリアーがぐちゃぐちゃに重なり合っている。

自然からエネルギーを得る人が人混みが苦手な最大の理由は、これかも知れない。

人間はコトバ依存が過ぎているのかも知れない。対話はもちろん大切だけれど、何事も過ぎたれば毒になる。

コトバを発していないと不安。バリアーを貼らないと怖い。その思いに駆られておしゃべりがすぎてしまい、その結果、エネルギーを消費してしまっている。

大丈夫。コトバも人も、あなたの中にある。自分の中にも人はいる。そうやって少しコトバを手放してみたら、人からエネルギーを得る人も、存外チャージできるのかも知れない。

まだまだ深める余地がありそうだけれど、現段階での、自然からエネルギーを得る私の考察。

明日も良い日に。


言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。