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3/365 【うががと書いて焦燥感と読む】 かくありたい背中

2020年、感情noteを始めます。

心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。

感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。

写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。

でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。

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昨日あーだこーだ言ったけど、箱根駅伝の中毒性が大好きだ。駅伝選手だった祖父の血と筋金入りのファンの父の血が合わさって、産まれた時から患者側である。

なんなんだろう、あの地味にじわる感動。録画でも迫ってくる緊迫感。

あくまでも個人競技なのに、中継レポーターがストーリーテラーとなって隙間を彩り、表舞台に出てこない周りの人々までもが、ちゃんと浮き上がってくる物語性。

昨年の大河「いだてん」で箱根駅伝の生い立ちもでてきたけれど、100周年ともなるとちょいちょい挟まれる歴史映像も感慨深い。その中の35年分くらいはある程度把握もできている。継続って、力だ。

とはいえ長丁場なので、じっとしてはいない。合間合間でうろちょろするし、家事をやったり雑事を済ませたりもする。

そのうちの一回、CMに切り替わったタイミングで洗濯物を見に行こう、と立ち上がった時に聞こえてきたコトバに、思わず足が止まった。

「私たちは、声援を送らない」

わわ?と思って振り向いたら、警備員さんらの背中が画面に写っていた。

しびれた。

かっこいい背中を見せたいと常々思っている。静かな決意と責任感と優しさにみなぎる背中は、ひたすらにかっこいい。清々しく輝いている。

悔しい。

今のところ自分の背中で見せられるのはがむしゃらさだけだ。周りから見たら間違いだらけの、ドンガメな甲羅止まりだ。不器用なんて言葉に逃げたくない。それはただの言い訳だから。

でも、血まみれにめげない度合いなら自信がある。なんなら額から血をダラダラ流し、50メートル10秒で駆け抜けながらヒャッホー叫んでネタにできる図太さも、多分ある。ただし、そう思うことが自分の美化になっていて、めちゃサムイ。どないやねん。

そんな妄想を触発されたた箱根駅伝(のCM) も、終わってしまった。

明日からはまた日常が始まる。でもこの感動はまた巡る約束がある。待ち侘びることのできる確実な未来は、毎日の希望になる、気がする。

さて、明日だ。


言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。