見出し画像

【闇堕ちとは】 大河ドラマ 「光る君へ」 第8回

どこへ行っても私は嫌われる

道兼を哀れに思っていいのかどうか、悩まされる回でした。脚本家の術中にハマり、何を信じて良いか分からなくなっています。人こそ物怪なり。

兼家が一番の曲者ではあるのだろうけれど、どこまでが道兼が「父上のため」にやったことなのかが分からない。DVは、道兼の自作自演なのか実際に折檻されたのか。自作自演な気もするけれど、どうなのかしら。

そして、まひろのお家に行ったのは、父の差金なのか。自ら行かない気がするので、父のスパイ、という印象ではあるけれど、さてはて。

こうやってすぐ自分は脚本家の手のひらでくるくると回される傾向がある。くう。

まあ、手のひらで踊らされているで言うならば、全員、安倍晴明の手のひらで狂乱している気もします。

それにしても。あっちでもこっちでも人の裏をかこうとしている人の姿を見ると、平安時代の内裏では私は絶対に生き残れなかっただろうとしみじみ思います。散楽見ながらワハワハ笑っていられる町民でいたい。

あの男に自分の気持ちを振り回されるのは、もう嫌なのです

周りに振り回されてしまうのは、自分軸ではない生き方。最近それを思うことが多々ありまして、この一言に心が動揺しました。

嫌いな相手の存在にストレスを感じてしまうのは仕方のないことだけれど、そのことで自分がぶれてしまったり、自分が病んでしまったり、自分の人生にマイナス影響が出てきてしまうのは、勿体無い。心に刻もうと思います。

人妻であろうとも、心の中は自分のものだけでございます

冒頭の女子会で出ていたこの言葉も、ある種それに繋がります。自分は自分だけのもの。自分の聖域は自分なのです。

話題かわりますが、陣の定めの有無についても、面白かった。アメリカ議会での、議会と大統領の関係です。大統領だって間違えることがある。その時のチェック&バランス機能を果たすのが、議会なのです。その関係性に近いものが、既にこの時代にあったのは、すごいことだと思います。まあ、近衛陣座は選挙で選ばれたわけではないけれど。

ラスト、同じ月を見ているの描写が「源氏物語」か何かにあったはずなのだけれど、どうしても思い描いているものが見つかりません。一番近いのが

「恋しさはおなじ心にあらずとも今宵の月を君見ざらめや」

拾遺和歌集・源信明

かなあ… もう少し探してみます。

直秀のヒーロー的な立ち居振る舞いだとか、倫子さんがおててをほっぺにあてて「まあああ」とやるところだとかの、少女漫画かーい!展開も多々ありました。ただ、観ている自分が今、闇落ちしかけているからか、そういう明るい瞬間以上に、冒頭に書いた闇の方に心が持っていかれた回でした。

明日も良い日に。


この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

日本史がすき

言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。