【長崎巡礼の旅③】 軍艦島に見る、岩崎弥太郎とグラバー帝国
軍艦島。
島フェチと世界遺産フェチの両方を満たす「明治日本の産業革命遺産」の構成要素の1つであるこの島は、長崎市内の港からフェリーで約40分。
乗船前に、デジタル博物館で当時の写真を見ながら、小さい頃、軍艦島在住だったガイドさんからのオリエンテーションがある。
40分の船旅の間も、フェリーから見える他の産業革命遺産群の説明がある。
画面中央やや右寄りの、三菱造船所にあるジャイアント・カンチレバークレーン。未だ現役な世界遺産。輸出元のスコットランドでも稀なクレーンだそうだ。世界規模でレアもの。
日本初の近代的ドック、小菅修船所。遠すぎて、価値がよく分からない…
これから向かう軍艦島も、三菱所有の炭鉱だった。当時の三菱の顧問を務めていたのは、グラバーさん。近代長崎の発展には、常にグラバーさんと岩崎弥太郎さんの名前が上がってくる。
そして見えてきた軍艦島!遠目だと本当に軍艦に見える。
最盛期、この小さな島に5000人以上の住民がいたそうだ。しかも居住区は西半分のみ。人口密度は東京都の18倍!
真水の無い、台風の通り道のこの島では、人の噂は半日で知れ渡る。よって、犯罪者は出なかった。留置場が使われるのは、「泥酔したお父さんを泊らせるときだけ」だったという。
このレンガの壁が世界遺産部分。色も綺麗に残っている。
100年以上前に建てられたコンクリート造りの7階建てのアパート、30号棟。明治の建物よ、信じられます?
ここも、ここ以外の炭鉱従事者向け住宅用アパートも三菱が用意した社宅で、光熱費はただ同然。社宅費も激安。お給料は良い。よって、全国でもまだ珍しかったテレビも冷蔵庫も洗濯機も、普及率100%に近かった。
当時のテレビは一台に一本アンテナが必要だった為、この建物の屋上はアンテナだらけだったという。写真の姿は、今のカトマンドゥのようだった。
島には映画館もスナックも美容院もあり、それらの多くは三菱の経営。つまり、三菱から支払われたお給料が、三菱経営の娯楽施設に落ちる仕組み。弥太郎すごい。
ちなみにここの炭鉱、深さが1キロあった。そんなに深い、光の当たらない場所での危険な作業が毎日続くのだから、そりゃお給料高くないとやってられないし、上がってきたら娯楽施設に行きたくもなろう。ウィンウィン(か?)。
2年前の台風で、30号棟の右中央寄りの部分が崩落した。100年前の建造物の為、修復の技術がない。よって、崩落していくのを我々は見守ることしかできない。
崩れゆく有様まで含めての世界遺産なのだ。
エネルギー政策が石炭から石油に変わった結果、1974年にこの島は閉鎖された。その後、三菱はこの島を売却しようとしたが、買い手が見つからなかったことと、無人だったが故に壊さなくても人への危害は無いことから、このままの姿で放置されることとなった。
おかげで、我々は刹那の遺跡を体験することができている。
台風の通り道でもあるこの島は、常に自然災害に晒されている。7階建ての建物を飲み込むほどの大波が襲うこともある。
いつ塩害が進んで崩壊するかも分からないし、いつ上陸不可となるかも分からない。
凪いでいる時しか上陸できないことを加味すると、これからどれくらいの間、観光可能であり続けるかも分からない。
興味のある方は、お早めに行くことをお勧めする。
明日も良い日に。
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