270/366 【座して待つ】 大河ドラマ 「麒麟がくる」 第24話
座して待つつもりか
これが今日書けているということは、再麒麟をちゃんと見れたということです。座して待った甲斐があったというものです。
でも、座して待つことを選んだのは少数派。
松永久秀は、この同じ言葉で覚慶にも光秀にも発破をかけます。その2つのシーンがとても印象的でした。
まずvs覚慶のシーン。障子の前で待つ久秀の両側を守る武士たちの装束!鼻と口元を覆い隠すようなデザインの甲冑姿!わー!飛沫対策!
その後、多聞山城に光秀が押しかけて来た際の、同じく発破をかけるシーンでの
火縄銃ディスタンス!
本来ならば普通ににじり寄ったりしそうなものを、火縄銃を使っての両者火花を散らせる演出手法!会話の中身が一瞬飛びました。すごいなー。あれこれ考えておられるよなー。火縄銃でぴったりいい塩梅に距離が保てるなんて、誰が考えたんだろう。ひょー。
幕府何するものぞという思いで階を駆け上がるのは、これからは信長なんだな、なんてものも薄々感じた回でした。
覚慶と光秀の因縁はここからどう描かれていくんだろう。
私は、いくさが嫌いだ
覚慶のこの一言に、光秀は「麒麟がくる平和な世を作るにはこの人では荷が重い」と思ったのか、それともこの人を巻き込みたく無いと思ったのか。
そしてこの一言を他への布石として考えるなら、覚慶の戦嫌いと信長の天下布武への想いはどう扱われていくのか。
最近は、信長の花押「天下布武」とは武力によって天下を取る、という意味ではなく、(義昭を立てての)幕府再興の意味であるというのが定説になっているらしい。
信長の義輝さんへの態度を思い出すと、あんまり足利家に忠誠を誓いそうには思えない。来週のトップ会談でまた印象が変わるのかしら。
ところで覚慶の「御門跡様」という呼称を初めて聞きました。デジタル大辞泉によると、
平安時代以後、皇族・貴族などが出家して居住した特定の寺院。また、その住職
となっています。なるほど。
ところで...
上杉武田の辺りはいつ登場するんだろう。光秀目線で描くと、もっと前に出て来て当然な人物を登場させられないのも本作の面白いところです。信長とは因縁がある諸大名らが大活躍していた頃、光秀は朝倉さんとこで寺子屋の先生していたものね。制作としては、それで登場人物を絞れたのが不幸中の幸いなのかも知れません。
おかげで足利家の知らない側面を沢山知れたのも、視聴者としてはありがたいことなのです。
明日も良い日に。
伴走80日目!
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