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レ・ミゼラブル

1985年、ロンドンにて初演されたレミゼの日本語版、初体験して来ました@名古屋。何故なら…

プリンシパルの大多数、ピンポイントで、この組み合わせで観たかったの!でも、トリプルキャストだから!ドンピシャな組み合わせが少ないの!少なかったの!

奇跡的に取れたのー!!号泣。

まずは、ひつまぶしにて、前祝い。とろろに… このズルズル芋の誘惑に…負けました。弱いんだよね、わたし。お蕎麦もとろろ蕎麦に無条件でいってしまうの…

そこから徒歩にて御園座へ。こちらもお初の劇場です。

レ・ミゼラブルって作品は、34年経って今なお色褪せない。

地下の下水道を逃げるとことか、街並みとか、プロジェクションが効果的に使用されていたり、(橋からの身投げはイマイチだった…けど、わたしの席の場所の問題かも知れない)照明のレーザー光線的なパキパキ具合とか、技術の進化に伴って演出が変更されてる部分もあるけれど、初めて見た時から感動するのは、人間模様の多用さなんだ。そこが普遍的だからこそ、何度見てもウルっとくる。

むしろ、こちらが齢を重ねた分、感動ポイントが少しずつ変化する。10年くらい前に初めてロンドンで見た時は、ジャベールが全然理解出来なかった。今は少し、分かる。この人も不器用だったんだ、ということが。彼にも正義はあるけれど、正義の定義があまりにも狭かった。バルジャンにかけられた慈悲の世界を突きつけられて、初めて自分の狭さに気づいてしまい、これまでの自らの正義感に押し潰されて居場所を見失ってしまったんだろうなー。彼は彼で、哀れ。

逆に、見るたびに株価が下がるのがマリウスw なんなん、あの天然の残酷優男w 昔は「好かん」程度だったんだけど、今日は思いました。「許せん」と。エポニーヌが可哀想だよう。都合のいいオンナになりすぎっちゃ、なりすぎだけど、それにしたってさ。くー

各世代も、社会階級も、神との関係性や、自由に対する理想など、色んな想いや考えの人がグラデーション豊かに描かれているのが、この作品の一番の魅力なんだと思う。

みな聞こえるか?ドラムの響きが
彼ら夢見た明日が来るよ
ああ、明日は

一幕終わりで、毎日を生きる、同じ町に暮らす人が皆、夫々の想いを抱きながら、違う明日の姿を、同じ明日に見出すのだ。

そして、同じ歌が2幕最後でも歌いあげられる。今回は、生者と死者とが肩を並べて。明日を持つ者は考えをまた、新たにして。明日を持たざる者は、ただ、見守って。

2幕の始まりの、下手からの照明とか大好物だ。

声の師匠のマダムテナルディエ、ゲスくて凄く良かった(褒めてます) したたかに生きる感じ。こんな人が隣人だったら嫌だけど、でも、こういう人もいるし、なんならこんな人の要素は自分の中にもある。見ないふりをしているけれど。

最後のガブローシュとかも、映像より舞台の方が心臓が痛くなるのよね。生々しくて。

最後の民衆の歌の涙が乾かぬ間に、最終手前の新幹線に飛び乗り、1人宴会となりました。

来月は10年ぶりのロンドン版だ!

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