引っ越し
何度目だろう。
引っ越しをすることになった。
今住んでいる場所には、珍しく長め(と言っても四年半ちょっと)住んだ。
コンクリートジャングルな上海から、潤沢な自然に囲まれた日本の今の場所に移り住んだのは、四年半前。
上海では、外に出るとすぐに人を目にしていたけれど、引っ越したばかりの頃は外に出て自転車をしばらく走らせぐるりと見渡しても人がいないことに驚き、やや不安になったものだった。
車に乗れない自転車生活の私は、不便さを感じながらも自然に包まれたこの田舎の暮らしに徐々に馴れていった。
澄んだ空気の中で四季を感じながら、都会では珍しい虫や動物に沢山出会った。タマムシ、目のかわいいとぼけた表情のハゼ、ハグロトンボ、イタチ、スプーンサイズのウシガエルのオタマジャクシ、サギ、カモ、ツバメ、名前の知らない魚や虫、鳥たちなどなど。
同じところに定住する良さも重々承知だけれど、自分はある程度同じところに住んでいるとどうも居心地が悪く移りたくなる性分のようである。
とは言え、これまでしてきたどの引っ越しも、引っ越したくて引っ越したというより、転機の訪れによるところが大きい。
これはもう定住できない宿命なのかも?と、秋の初めにぼんやりと思う。
少し前までは、基本家を購入して、終の住処として定住するのが一般的日本人の暮らし方だった。
最近は、コロナ禍を経て賃貸やホテル住まい、ノマドなど転々と暮らすことも普通になってきている。
だが、地方だとやはりまだ購入派が多い印象ではある。
今の場所で感じる居づらさは、自分が少数派(定住民の中に迷い込んだ遊牧民的)な存在だったからかもしれない。
親しくなった人たちとの別れによる寂しさは、もちろんある。引っ越しに伴う荷造りや手続きの煩雑さにはくらくらしそうだ。だけど、それを上回るワクワクが、自分の中で確固とした存在感でゆらゆらと輝いている。
これまでも、これからも一生定住できない人生かもしれない。
そうではあるかもしれないけれども、とりあえずは遊牧民として身軽に生きていこう。
遊牧民にとって、風の時代は以前よりずっと居心地が良いはずだ。
どんな場所でも、日々を大切に、楽しんでいけたら。
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