見出し画像

香水Le Régent 摂政政治の時代

 オリザ・ルイ・ルグラン創業300周年記念として「Le Régent」はオリザが300年前に発売した香水をLes Joyauxde La Couronne(王家の宝石コレクション)と題したコレクションの第一弾として2020年夏に発売した。
 ペルーバルサム、ベンゾインが煌めき、アンバーグリスとバニラが更に光を増す。終盤からオポポナックスとガイアックスレザーと共にアロマティックな輝きは一晩以上持続する。王家のダイヤモンドの名に相応しい威厳と優雅さを持ち合わせた香りだ。

 Le Régentダイヤモンドは1698年にインドのダイヤモンド鉱山で発見された140.64カラットの巨大なダイヤモンドだ。幼王ルイ15世の摂政であったオルレアン公爵ルイ・フィリップ2世が1717年にサン・シモン公爵ルイ・ド・ルヴロイの勧めにより現在の金額にすると2068万ユーロという金額で購入した。ルイ14世も購入を考えたが、あまりに高額なので諦めたダイヤモンドだ。

ルイ15世の宝冠 (ルーブル美術館蔵)

 ダイヤモンドは1722年にルイ15世の戴冠式のために王冠に使用され、1775年にはルイ16世の戴冠式のために新しい王冠に使用、その後マリー・アントトワネットの帽子の飾りに使用された。

 フランス革命時に一時行方不明になるが、帝政期はボナパルト家が所有し、ボナパルト家の人身御供であったマリー・ルイーズは亡命時にこのダイヤモンドを勝手に持ち帰り、父フランツ2世が復古したブルボン家に返却。現在はルーブル美術館に所蔵されている。

 オルレアン公ルイ・フィリップ2世

 フランスで摂政というと1715年に摂政となったオルレアン公爵ルイ・フィリップ2世のニックネームである。学者肌の多彩な公爵は特に科学分野を得意とした一方、多くの愛人との間に多くの庶子をもうけた恋多き人物。執務は真面目だが華麗かつ卑猥な夜会を好んだ。実際ルイ14世の度重なる戦争で疲弊した国家に束の間の穏やかな時代を提供した。国民から憎まれるルイ14世の庶子メーヌ公爵夫妻を宮廷から追放し、外交面ではスペインの親類よりイギリスの親類を信じ、オランダ、イギリスとの同盟を結び、国民の信頼も厚かった。
 彼が摂政を務めた時期は宮廷をパリに移転させた。摂政はルーブル宮向かいのパレ・ロワイヤルに居住した。そのためヴェルサイユから多くの貴族がパリに転居し優れた芸術家もパリに集まり、今日まで続く芸術の都として発展を続けたのだ。
 ルイ14世統治末期のフランスは国王と秘密結婚したマントノン侯爵夫人の影響から喜劇の上演を禁じ、放蕩を主題にしたオペラも演目を変更され、宮廷舞踏会も開催されなくなっていた。陰鬱な時代が15年も続いたのだ。王侯貴族とブルジョワ階級は箍が外れたごとく遊興とモラル無き恋愛に没頭した。

摂政の長女ベリー公妃

 中でも摂政の放蕩は群を抜いていた。数えられるだけでも50人の愛人がいたという。男女共に友人から愛人を貸し借りし、使用人にも手を出し、私生児が多く生まれた。放蕩こそが粋とされ、周囲もそれを真似た。
 摂取の仲間は使用人を閉め出し、女性は体の透ける薄衣だけを纏い、夜会参加者自ら調理し料理を取り分け、酔いに任せて欲望のままに体を求め合う夜会を開催した。摂政が誰よりも可愛がった美貌の長女ベリー公妃も父の淫らな夜会の参加者であった。淫靡な父との親密さから近親相姦の噂もあったベリー公妃も屋敷で淫らな集いを度々開き、彼女の館は放蕩の末妊娠した女性の秘密出産の場としても提供された。摂政の娘は優雅で美しい色情狂として名を残し1719年7月に死去している。

ローが発行した紙幣 1718年

 政治の世界にはかつてルイ14世に追放されたスコットランド人金融家ジョン・ローが登場する。身持ちの悪さで知られた摂政の愛人パラーベル伯爵夫人から紹介された。ローは通貨不足対策として王立中央銀行を支配し通貨発行権を手に入れフランス初の銀行券も発行、流通させた。この銀行券は金銀に替えられる保証をつけた。国債残高も激減してフランス政府は歓喜した。金貨・銀貨の価格は著しく下がった。これに対しジョン・ローの個人銀行は1715年に認可、1717年4月には一般銀行に改組された。一連の経済活動は「ローのシステム」と呼ばれた。

 1717年8月、まだ未開の荒野であったアメリカ・ミシシッピ川流域を中心としたルイジアナに銀鉱脈が発見されたとする報道から、セネガルとインドからの貿易を担っていた『インド会社』と、ルイジアナの独占交易権を持つ『西方会社』が合併し、ミシシッピ会社を設立。株式は上がり続ける。
  
 1720年始めに最高値をつけたミシシッピ会社株を数名の王族が売り逃げを行ったのが発端に株価は大暴落する。ローの銀行の支払いは滞り、同年3月にホルネ男爵が借金返済のために暴漢と銀行強盗した際に銀行員を刺殺。人々はミシシッピ会社株と銀行券を金や硬貨に替えて海外に持ち出し、取り付け騒ぎが起こった。やがて銀行券の価値も下がった。7月、暴動を防ぐため集会が禁止され、ローは財務総監を解任されるとフランス国内を放浪し、1721年に会社が倒産するとローは亡命した。一部の王族やブルジョア階級が小麦や蠟燭、布地等を買い占める経済混乱と大インフレが起きてしまったのだ。摂政の人気も地に落ち、自宅に脅迫状が届く有様。追い打ちのように1720年夏は南仏でペストが流行した。1600年代のチューリップ・バブル(オランダ)や同時代の南海泡沫事件(イギリス)とともに、三大バブル経済の例えとして知られる。
   
 このバブル期と経済混乱期はフィリップ2世の母ルイ14世弟の未亡人エリザベート・シャルロット・ド・バヴィエール(通称リーゼロッテ)が詳細に親族への手紙に記載している。

リーゼロッテ

「ローは王の借金をすべて片付けた男」(1719年8月3日)

「貧しかったかつての侍女は全財産を、既にお聞きおよびの英国人ロー氏の『ミシシッピ会社』に預け大金持ちになり、そのお金で即座に広大な素晴らしい領地を手に入れました」(1719年10月7日)

「ローに面会を断られたある貴族の女性は、どうしても彼と会いたく、自分の馬車をローの家のドアにぶつけ馬車を横転させ、御者に大声を出させました。(中略)宮廷では高貴な6人の女性がローがトイレに行こうとする際に彼を取り囲み、株券を譲るよう詰め寄りました。女性たちはどうしても一歩も引かず、ローは『これ以上小便が我慢すると病気になる』と言うと女性たちは『どうぞ、結構です、ご一緒しますから』とローの小便に立ち会ったのです」(1719年11月23日)

「ヨーロッパ各地から人々が利権を求めパリにやってきます。この1ヶ月でパリの人口が25万人も増えました。屋根裏部屋も貸し部屋になり道が馬車で溢れかえっています」(1719年11月21日)

カンカンボワ街の投機家

「宝石を手に入れたのはローだけではありません。ブルボン公爵も宝石と土地を沢山購入し、株券所有者は他にも多数います」(1719年12月12日)

「今日、金はすべて禁止され、ルイ金貨もターラーも通用せず、銀行券と20スーだけが通用しています。(中略)このフランスでこういった話に興味が無いのは息子とシャルトティエール夫人だけです。(中略)『金がこの世を支配する』という格言がここまで当てはまるところはありません」(1720年2月11日)

「金銀が禁止になったのは事実です。それ以上については政治に関わらないので知りません」(1920年3月17日)

「フランスではヘラーやプフェニッヒ通貨はありません。あるのはお尻を拭く紙〔紙幣〕だけで、これはありあまっています」(1920年6月21日)

「息子の妻やブルボン公妃の兄弟であるダンタン公爵、デストレ元帥、ラ・フォルス公爵は酷いです。ダンタン公爵はあらゆる生地を、デストレ元帥はコーヒーとココアを買い占め、ラ・フォルス公爵に至っては蠟燭や日常生活用品を安く買い占め、高値で転売したのです。」(1720年6月27日)

「外出先で女官が血相を変えてわたしに言いました。『王弟妃殿下、パレ・ロワイヤルの中庭が人々に占拠されています。ヴェエンヌ街の銀行で起こった暴動で亡くなった人々の遺体が運び込まれています。ローはパレ・ロワイヤルに逃げ込み、彼の馬車は破壊されました。人々は朝6時から門に襲撃を始めました』(後略)」(1720年7月18日)

「すべてのものが値上げで酷い状態になっています、少し前まで30フランケンだったものが今や100フランケンです」(1920年9月14日)

「街は今は静かだが、不満の声は大きく、真の静寂では無い。いつ何時不穏な暴動が生じるかわからない」(1720年9月9日)

「息子は民衆に愛されていたのに、忌まわしきローが来てからは憎まれるようになった」(1721年10月4日)

「ミシシッピ会社や南海泡沫事件を嘆く人には同情しません。貪欲と利害心から起こった事件でわたしが最も嫌うものです」(1720年11月21日)

「買い占めを行い逃亡したラ・フォルス公爵は議会から追放され、領地を没収されて当然です」(1721年2月21日)

 このミシシッピバブル騒動をモンテスキューは『ペルシア人への手紙』(1721年)で「病人を治そうと荒療治を試み、病人を癒し、太らせたかと思ったが、実際は浮腫ませただけだった」と評した。
「ローのシステム」は多くの破産者を生み経済混乱を招いた一方、国家の大赤字は解消され、植民地貿易が活気づき、パリには建設ラッシュが起きた。リーゼロッテは放蕩三昧の摂政や孫を嘆く手紙も多く残している。


 香水店オリザはこのミシシッピバブル崩壊の年にパリ・ルーブル宮近くに誕生した。華麗なるバルサミックオリエンタル樹脂天国の香りの構想は明らかにバブル期のものだろう。70代になっても30歳に見えたという伝説の高級娼婦ニノン・ド・ランクロもオリザの香水を愛用していた。
 後の混乱を知ること無く享楽の歓びを永遠にと願うかの様な甘く優しいリラクゼーション効果を持つ古典香水だ。
 フランス王家のダイヤモンドはまだ数種存在する。2020年夏の段階ではオリザのLes Joyauxde La Couronne(王家の宝石コレクション)は今後も発表予定だという。



【出典】

ORIZA L, LEGRAND

https://www.orizaparfums.com/en/

ルイ15世の王冠
工芸品部門 : 18世紀:ロココ

https://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/%E3%83%AB%E3%82%A415%E4%B8%96%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%86%A0

Diamond, known as the "Regent"
https://www.louvre.fr/en/oeuvre-notices/diamond-known-regent

目からウロコの経済用語「一語千金」 ミシシッピバブル
https://imidas.jp/ichisenkin/g01_ichisenkin/?article_id=a-51-202-18-10-g204

ジョン・ローの奇策「ミシシッピ会社事件」
簿記の歴史物語 第13回

https://media.moneyforward.com/articles/627

『ヴェルサイユの異端公妃 リーゼロッテ・フォン・デァ・プファルツの生涯』宮本絢子著 1999年 鳥影社

Le Regent Oriza L. Legrand for women and men

https://www.fragrantica.com/perfume/Oriza-L-Legrand/Le-Regent-62019.html

『図説 ブルボン王朝』長谷川輝夫著 2014年 河出書房新社

『フランス女性の歴史 2』アラン・ドゥコー著 柳谷巖訳 1980年大修館書店

2021年2月17日初版。
同年2月18日 ミシシッピバブル期のリーゼロッテの手紙など加筆。資料写真追加。
同年3月2日 訂正加筆。
同年3月15日 加筆。

投げ銭サポートщ(゚д゚щ)カモーン