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100冊読書計画001『新写真論 スマホと顔』大山顕著

恥ずべきことかもしれないが最初に記しておく。
僕はこの本を読むのにすごく時間がかかり、そしてこの本は何を記しているのかを理解するのにも時間がかかった。
それは恐らく、僕が写真や写真論に対する予備知識があまり無かったことに起因する。読んでいくと知らない知識や概念に出会うことが多く、それらを調べてからまた読み進めるということを繰り返していたからだ。先に知っておくべき基礎がたくさんあったと思う。

では何故この本を読むことにしたのか。それは僕がこの本の著者である大山顕氏に興味を抱いたからだ。
彼は団地やジャンクションなど土木建造物を専門にした写真家である。『工場萌え』の写真集が最も知られているかもしれない。これは僕も学生の頃から知っていた。
その大山氏が最近、ライブドアニュースの「ゲームさんぽ」の企画にゲストとして登場し、ゲーム『ファイナルファンタジーⅦ』リメイク版の建造物を解説していた。長い動画だが面白いので是非観てほしい。その動画内で一瞬だけ紹介されていたのがこの『新写真論 スマホと顔』だ。

ゲームさんぽの解説が面白かったこと、その面白い解説をしていたのが『工場萌え』の人物であること、調べてみると彼の写真が胸躍るものが多かったことなどから、この本を購入するに至った。写真のことなど殆ど知らないのに。

だからこそ、本の内容は全てが新鮮で面白かった。
端的に紹介すると、カメラを使って撮らなければならなかった写真が、今や誰もがスマホを使って撮り、そしてSNSで簡単にシェアできるようになったという写真史上最も特異なこの時代で、我々がスマホで撮る写真には、そして写真を撮る行為には、どのような意味が含まれているかを論じている。

テーマが「スマホ」や「SNS」と身近なうえ、その何気ない身近な行為のなかに意味や解釈が存在することを再認識させてくれるから面白い。本来、勉強とはそういうものなのだと思う。

個人的に特に面白かったのは16章の「写真を変えた猫」だ。
以前から不思議に思っていたのだが、SNSやyoutubeには猫を題材にしたものがあまりにも多い。僕が尊敬する人達もなぜか大抵猫を飼っていて、猫の写真や動画を頻繁にあげている。
本書によると、インターネットの父と呼ばれるティム・バーナーズ=リーは、「現在、人々がインターネットを使う理由になっているもので、まったく予想していなかったものは何か」という質問に「子猫」と答えたという。

確かに猫は可愛い。人間以外の動物で何が好きかと言われると、たぶん最初に猫を挙げる。猫の写真を撮るのも好きだ。だが何故ここまで人間は猫の写真を撮るのか理解できなかった。
それが、この章で僕はようやくそれを消化できた。
単純に可愛いからだけではない。大山氏の結論は「猫はSNSに最適化した生き物だ」という。

その要因は主に3つある。
今までのカメラだと写真を撮るという行為や工程そのものに時間がかかり、じっとしていられない猫はその間にどこかへ行ってしまう。そのため、初期の写真や写実性の高い絵画には猫がほとんど登場しない。
だがスマホがカメラとなった現在、カメラはもはやいつでも手元にあるし、撮影行為にかかる時間はほとんどなくなった。だから猫もいつでも撮影できる。これがひとつ。

ふたつめは撮影にコストがかからなくなったこと。
かつては撮影にはお金がかかり、現像やシェアには手間がかかった。そこまでして猫の写真をネットにアップロードする人は多くなかったらしい。
だが、現在ではそのようなコストは一切かからないため、いくらでも猫写真をシェアできる。
本書からそのまま抜粋すると、「どうやら猫は"コストがかからないならいくらでも撮るが、そうでなければ撮らない"という、撮影欲とコストの境界線上にあるコンテンツらしい」とのこと。

最後に、SNSでは所有者がはっきりしないものがシェアされやすい性質があり、猫画像はその点で向いていること。
シェアしたい可愛いものの代表に赤ん坊がいるが、例えば我々は他人の赤ん坊の画像を保存するだろうか。恐らくあまりしないだろう。
それに対し、猫ならいくらでも保存できる。
その違いは所有者がはっきりしているかというところにある。赤ん坊はその親を抜きに愛でることができないのに対し、猫は独立した個である。愛猫家がよく「猫に飼われている」と口にするのもその証拠だろう。
その猫画像が誰かに保存されやすい/受容されやすいということは、自分はアップロードしやすいということだ。
だからSNSには猫画像が溢れている。
これは僕の長年の疑問を綺麗さっぱり消化する解釈だ。

上記は本書のほんの一部分だが、このように、大山氏は撮影→現像→閲覧といった行為(というより写真そのもの)が現在どのような変容を遂げたかを解説している。
面白くないわけがない。
学生の頃、ある先生から「当たり前を疑う」ということを教わった。
我々は日々当たり前のように写真を撮り、当たり前のように写真をシェアし、当たり前のように他人の写真を観ている。
そこを見つめ直し、自分の行動に意味を与える。この繰り返しが人生を面白くするのではないかとすら思える。

僕は小さい頃から好きなものがあった。親が運転する車の後部座席に乗り、イオン小禄店の立体駐車場で車を止めるまでの窓からの景色がとてつもなく好きだったのだ。
だが、なぜそれが好きなのかは最近までわからなかった。景色が好きなのか、建物の大きさや構造の複雑さが面白かったのかとも思ったが、どうもしっくりこない。
答えがわかったのは、大山氏を知り、本屋で何気なく工場写真集を見てからだ。
僕は景色や構造が好きというより、単純に立体駐車場が好きなのだ。そこに気づいた瞬間の心が熱くなる感覚は凄まじかった。
沖縄各地を回り、立体駐車場の写真を撮った。撮っていくうちにデザインや構造の違いに気づいた。そこには様々な法律やニーズが絡んで完成した経緯があることを知った。立体駐車場を見る目が変わった。

普段見ている景色が、学ぶことによって解像度が上がり、また違った景色に見える。
これほど素晴らしいことはない。
大山氏を始め、写真家とはそれを提供する仕事かもしれない。
そして、この本はそれを「写真」という行為にフォーカスし詰め込んだ作品とも言える。
100冊読書計画の最初に、いい本に出会えた幸運を感じずにいられない。

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