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『愛するということ』を読んで。

エーリッヒ・フロム著書、鈴木晶訳の『愛するということ』を初めて読んだ感想を書いていこうと思う。

おそらく僕はこの本をこれから何度か読むことになると思うので、初めて読んだときの感想ということをわかるようにしておきたかった。

フロムの著書ということもあり、哲学的な説明の多い本で、哲学に明るくない僕にとっては、難しく感じたというのが正直な感想。
また、よくある自己啓発本のような実践的な本でもなく、愛という技術を理解し実践できるようになるため(実践するための方法がすべて書かれているわけではない)の愛の哲学本という印象だった。

これまで生きてきた中で知った愛と、この本で語られる愛はかけ離れたもので、なかなか理解の追いつかないところも多い。

少なくとも僕にとって、一度読んだだけで、
「あぁ、なるほど、そういうことね」
となる類の本ではないのだと思う。

ただ、
「よくわからない、むずかしい…」
と読むのを投げ出してしまうのはとてももったいのないこと。

なので、いつかまた読むときのために、22年11ヶ月生きてきた僕が、この本のどこが気になり、何を感じ、どう考えたのかを、フロムの伝えたいことが正確に理解できているかどうか分からないが、少し残しておこうと思う。


愛は技術である。

p15

愛って感情的なことだと思っていたので、とても衝撃的だった。
本書にも書かれているけど、これは僕自身が愛について、”愛する” ではなく ”愛される” にフォーカスしていたからだと思う。
対象に愛されるためにどうしたらいいのか、気に入られるためにはどうしたらいいのかを考えていたということをこの本では否定する。

”対象” というのも、特定のひとりの他人と思っていたが、自分を含めた全ての人、世界のことを指す。

愛とは、特定の人間に対する関係ではない。

p76

“その人だけを愛する、その人以外の人は愛さない” ということではなく、”その人を愛し、またその人を通して、すべての人を、世界を、自分を愛する”ということが真の愛するということ。
真の愛の奥深さを感じた。


愛は何よりも与えること

p41

ここを読んだとき、「意外と単純なことなんだな。」と思ったけど、そんなことはなかった。

それは僕が、”与えること” に対して、自己犠牲だったりギブアンドテイクというのをイメージしていたからだ。

しかしフロムが語る ”与えること” というのは、与えるという行為から喜びを得るというまったく逆の意味だった。

テイクを考えないギブアンドギブなイメージであり、自己犠牲ではなく与えることこそが自分の喜びと思える。

こういった考え方からも ”愛する” ということがとても高度な技術であることがわかる。

いつ誰からかというのは覚えていないけど、”You're welcome" には ”どういたしまして” という意味だけでなく、”それをすることが私の幸せです” という意味があると聞いたことがある。

少しずつでもそういった心を育んでいけたらいいなと思った。


読んで理解すること、自分なりの言葉にすることがとても難しく感じた本だった。

本書の冒頭に、

愛は、「その人がどれくらい成熟しているかとは無関係に、誰もが簡単に浸れる感情」ではない。

p3

と書かれている。

生きているうちに、この本を、真に愛するということを本当に理解できるようになりたい。


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