動くことで見えてくるもの
数ヶ月前にバンジージャンプを飛んでから…って、最近、その話題を出しすぎている自覚はあるのですが、バンジー前後では見えている世界、体験している世界があまりに違うために、書きたいことが尽きません。
これはあれです、きっと、鎖国から開国したくらいのパラダイムシフト。
いや、もちろん、私個人としては鎖国も開国も体験していないので、適当なこと言っているだけですが、とにもかくにも、一度バンジーを飛んでみたら、それまでの自分が(そうと知らずして)どれだけ閉ざされた世界にいたかが、ものすごーく見えてきたのです。
しつこいですが、閉ざされた世界にいるとはとても思ってはいなかったんです。なんなら私はわりと自由にいろんなことに挑戦している方だとさえ思っていたくらいなのです。
いやー、恥ずかしいわ。
今、私が心から納得しているのは、「知識は、行動して体験をすることで初めて納得になる」ということ。
世界は広い、ということも、自分とは違う価値観がある、ということも、全部知っていましたし、わかっているつもりでした。
けれど、自分とは違う価値観があることを知っているのと、自分とは違う価値観を体験するのとでは、いる世界が全く違うのです。
バンジー以降の私は、40代も後半にして(わざわざ年齢をさらしたくはないのですが)、まるで生まれ直したかのように、新鮮な驚きと、好奇心をもって、自分と世界というものを改めて理解し直している気分です。
その過程で発見したことをぜひ今回は共有させてください。
動くと思い込みに気づきやすい
さて、バンジー以降、自分の中にあった制限を取っ払って行動してみることで得られる解放感に目覚めた私は、日常の中で意識的に「小さな冒険」を実践するようになりました。
小さな冒険というのは、自分の慣れ親しんだコンフォートゾーンを少し飛び出してラーニングゾーンに行く選択をする、ということ。
具体的には、初めてのレストランに行ってみるとか、気になっていたけど優先順位が低くて放っておいたことをやってみるとか、本当に小さなことでいいから何か新しいことをやってみる、これまでと違う選択をしてみる、ということを試みるようになったのです。
すると発見がありました。
やってみたことで、突然、自分が持っていたフィルター(思い込み、信念、常識)が見えてくることが結構あるのです。
たとえば、最近では、自然道を走るトレイルランにトライしました。
ランニングも好きで、ハイキングも好きな私は、トレイルランがずっと気になっていたけれど、踏み出すことはありませんでした。
けれど、小さな冒険をしてみる試みとして、試しに一度走ってみたら、急にはっと気づいたんです。
自分がこれまでトライしなかったのは、本当にやる気があるか、続ける気があるかがわからなかったからだって。
なんでそんな考えになっていたかというと、そこに私のフィルターがあったのです。
「やるなら本気でやった方がいい」
「始めるからには続ける方がいい」
気づけた今は、どんだけおかしな話だって笑えます。
そもそもやってみないことには本当にやる気があるかどうかなんてわかるはずありません。
しかも、別に続ける必要もなくて、気が向いた時にトレイルを走るという永遠の初心者トレイルランナーでもちっとも構わないのです。
なのに、なぜ私はそんなふうに思い込んでいたのでしょう?
原因探しよりも、手放しだ
私には思い当たることがありました。
幼い頃、何かやりたいことがあって親に相談すると、「本当にやりたいの?」「ちゃんと続けられる?」って聞かれていたよな、って。
おそらく、その経験を知らずのうちに積み重ねたことで、何かをやる時は本当にやりたいか、ちゃんと続けられるかを考えることが当然だというフィルターが定着してしまっていたのです。
そのフィルターがあってもたいして困ることがなければなかなか気づきませんが、そのフィルターとマッチしない行動をしたことでインプット情報に変化が起こって、「ん?これまでと様子が違うぞ?」というようなプロセスが進み、フィルターの存在が浮かび上がってくるんじゃないかと思うのです。
それでいうと、困ることがないならそのままでいいとも言えるかもしれません。
ただ、進化成長という観点で言えば、困る前に気づいて、自分の可能性がより拡大するような、自分の未来によりワクワクできるような、そんな思考回路に切り替えられる方が断然、面白いとも思うようになりました。
で、思うに、行動を通して気づくことの凄さは、そのフィルターを持つようになった原因や経緯が何であっても、そのフィルターを覆すような行動をすでにしている時点で、そのフィルターをぶち破って無効化する、つまり手放すプロセスを進んでいること。
自分を縛っている信念や思い込みに気づけたはいいけどどうやったら手放せるのか? それが私の長年の疑問だったのですが、動くことで気づくのも手放すのもいっぺんにできるなんて、もっと早く知りたかったわ!
いや、もちろん、慣れ親しんだ信念、思い込みに気づいていようと、いまいと、それらを覆すような行動をするのは怖いというか、勇気がいるのです。だから、バンジージャンプに例えているのです。でも、たとえば私にとってのトレイルランみたいに、たいして人生の本筋に影響なさそうな、人様にかける迷惑も少なそうな、小さな挑戦ならしやすくないですか?
そんな小さな挑戦でもパワーは絶大だというのも気づいたことでした。
だって、フィルターは、己の言動、というかアウトプット全てに影響しているから。
何が言いたいかというと、たとえ小さな挑戦でも、行動すれば不要なフィルターに気づいて手放せたも同然だから、そのフィルターが影響していた全範囲、すなわち人生全般が変わり始める、みたいな大きな変化が起こっても不思議ではないということです。
いやはや、行動することが大事、とはよく言われますが、その真意をこれまでより一段深いレベルで納得できてきたかもれません。
いみじくも「“動作”学」とはよく言ったものです。
動こう。
そうやって張り切って動き回っていた私は、一週間もしないうちにわかりやすく疲れていったんお休みするはめになるのですが、そこでも動作学の知識を体験し納得することがたくさんあったので、それはまた別の機会に…。