安田登先生の海岸寺寺子屋@6月

今月も行ってきました。
今月は
・漢詩
・曼荼羅
でした。

杜甫を漢詩を読む

絶句

杜甫「絶句」
起:江碧鳥兪白
承:山青花欲然
転:今春看又過
結:何日是帰年

時代背景的には唐の時代。
杜甫は長安の生まれですが、四川に流されており故郷に帰りたいという心境を綴っています。

起承は同じような並列を並べるのが普通ですが、杜甫は工夫しています。
起:色では碧と白、そして動くもの➡︎写真のように一瞬を切り抜く「静」の性質
承:色では青と赤、そして動かない山や花➡︎草が芽吹いたり、花が咲く動の性質
と相反するものを入れています。

そして転。
普通だと「今年の春も終わってしまったなぁ〜」くらいですが
「看」という字は手を目の上に当てていて眺めている様子を表しており、この看ている間に膨大な時間が流れているのだとか。

起は静止画
承はゆっくりとした動き
転はとても早い時間の流れ
そして最後には絶対帰るぞ!という強い決意で終わるという流れです。

絶句。凄まじい。絶句って誰がつけたんでしょう。自分?

春望

山破山河有 城春草木深
感時花灌涙 恨別鳥驚心
烽火連三月 家書抵万金
白頭掻更短 渾欲不勝簪

一般的な約
戦乱によって都長安は破壊しつくされたが、大自然の山や河は依然として変わらず、町は春を迎えて、草木が生い茂っている。
 時世のありさまに悲しみを感じて、(平和な時は楽しむべき)花を見ても涙を流し、家族との別れをつらく思っては、(心をなぐさめてくれる)鳥の鳴き声を聞いてさえ、はっとして心が傷むのである。
 うちつづく戦いののろしは三か月の長きにわたり、家族からの音信もとだえ、たまに来る便りは万金にも相当するほどに貴重なものに思われる。
 心労のため白髪になった頭を掻けば一層薄くなり、まったく冠を止める簪(かんざし)もさすことができないほどである。

しかし、安田流は違います。吉川幸次郎さんを参考にされているそうです。
起:国のシステムがおかしくなっているが、山や河はそのまま残っている。    城(城壁に囲われた街)は栄えているのに、草木が深くなっている。

安田先生はこの様子を今日の渋谷に例えていました。渋谷も人がいっぱいいて栄えている。しかし、四六時中工事をしている中でねずみが大量に増えてしまっているそうです。

承:花でも涙を流したり、鳥でも驚くのに人は無関心になってしまった。

転:人が一番生活しやすい春(三月)なのに戦争をしている。
(戦争で手紙が送れないから)手紙が万金になってしまった。

結:ストレスで頭を掻きむしってしまい、傷だらけ。
  夢も希望もなくなってしまった。

というまさに現代のことを言っているんじゃないかと思えるような詩ですね。
絶句と春望。まったく違うものが出てきました。
杜甫の引き出しはすごいですね。

曼荼羅を学ぶ

曼荼羅の絵などをみたことがあるかたもいらっしゃるのではないかと思います。いろんな菩薩や如来が並んでいる。普通はその程度しか思わないと思います。

曼荼羅に関しては言語化できないものを伝えるために絵にしたものという意味もあるようです。

そして今回は金剛曼荼羅(成身会)をみました。
金剛曼荼羅の重要な点は「相互供養」です。相手のことを思い、感謝することです。

大日如来を中心に中央に金剛界の五仏が並びます。
そしてその周囲を四波羅蜜菩薩がいます。この波羅蜜菩薩は中心の大日如来を供養します。

そして供養してもらった大日如来は金剛仏 四仏を出し、金剛界 四仏を供養します。

次は金剛界 四仏が大日如来の供養に奉答する。
ということになります。

曼荼羅というのは各種のつながりを表しています。
まだまだ初歩の初歩ですが。

釈迦を超える人はそろそろ出てくるのでは?

空海はすごい。これはみんな知っています。
しかし、空海は釈迦未満の評価ですね。
これはキリスト教などでも同じでBC500年頃の偉人たちの知の爆発の頃の人たちが今なおトップとされています。

安田先生はそろそろ新しいトップが生まれるのではないか?と言っています。

それは量子力学が理解できてきたからです。
キリストや釈迦の話が物理の世界で伝えられるようになったからです。

過去の停滞の時代から知の爆発が生まれ、技術の爆発が生まれました。

次は何の爆発なのでしょう。

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