神と儒教と帝王学
皆さん、先祖供養やお墓参りできてますか?
しっかりしている人はもしかしたら皇帝になれるかもしれません。
今日は先祖供養に関わるお話です。
「大仏」と「不徳」
741年 聖武天皇は大仏建立の勅の中で民に謝ります。
長屋王の変、藤原四兄弟の死、疫病の蔓延、地震、恭仁京の建設失敗と不安定な社会に対する責任、更には息子の死と不幸事が続きました。
こうなったのは「朕の不徳」であると。
この頃には日本に儒教の考え方が入ってきていたことがわかります。
武力で天下を治めるのが「覇道」
徳をもって治めるのが「王道」
聖武天皇は自らの徳が足りないから天地災害が起こっているのだと言っているのです。儒教は善政をすれば全て上手くいく、災害など起きないという「善政万能」説です。つまり、善政できていないと民に伝えたのです。
今はそのようなことは非科学とされますが、K田首相…
ちなみに大仏建立の詔は前述の通り741年です。
仏教の伝来は29代欽明天皇の治世とされてます(聖武天皇は45代)。おそらく550年頃です。儒教はいつ伝来したのでしょうか。成立はほぼ同じ時期だけに仏教と同じ頃に入ってきていたのでしょうかね。
話が逸れました。聖武天皇は自らの「不徳」に変わるものとして、大仏や鑑真和上と言った「超越するもの」に救いを求めました。
「超越するもの」とは何なのでしょうか
歴史を見ていきたいと思います。
神の声を聞く西
中東や西洋では人間を超越するものとして「神(god)」の存在があげられます。
そして、神と対話出来るのはユダヤ教などの一神教世界では預言者は一人だけですね。(間違ってたらすみません)
しかも預言者になるのは選択権なく半強制的です。
多くの人が勘違いしてるのが次に○○が起こるよーと伝える予言ではなくて、神の声を聞く預言です。
下記、預言者です。
うん、どれくらいの頻度で預言者出るのか知らないですが、結構居ますね(笑)少なくともあとヨシュアとキリストとムハンマドがいるわけですよね。
見えないものを呼ぶ東
続いて東を見ていきましょう。中華です。
中華初の王朝である夏王朝に続く二代目の殷王朝は超越するものとして「帝」がありました。
おそらくまだ皇帝というシステムはできていません。
「帝」という字は生贄台の上に乗った最高級の生贄を表しているようです。
もちろん「人」です。
おそらく若い女性が捧げられていたのではないでしょうか。
殷王朝に続いた周王朝は「超越するもの」として「天」を選びました。天と言っても「空(そら)」ではないようです。仏教の「空(くう)」に近いのかもしれません。
殷王朝における捧げ物のような現物ではなく、人間の精神世界を超越するものとしての「空」でした。そして超越するものが「空」になったことにより、生贄が必要無くなりました。
これはもしかしたら「生類憐みの令」ばりの改革かもしれません。
生贄の代わりに「祝詞」をあげるようになったようです。
生類憐れみの令も薩長史観では悪法というのがお決まりですが、昨今では武断政治から文治政治への切り替えとして使われたとの見方が強まっています。
極端なやり方ではありますが人を斬ってもOK(辻斬り・斬り捨て御免)の社会から人を殺めない社会に変えたということです。
東西比較
殷と周は「超越するもの」こそ自体は違えど、「超越するものを呼び出す」というスタイルです。これは「神から(おそらく一方的に)お告げを貰う」西洋・中東とは異なりますね。
インド等も含めないといけないですが、多神教のインドもおそらく中華と同じ形になるのではないでしょうか。
そしてそれは(聖武天皇の代までには)日本にも伝わり、祭祀という形で今日の天皇のお仕事になってます。
儒教の六教
儒教の「儒」は「雨」という漢字を含みます。
水周り、雨乞い等を専門としていた集団だったようです。
儒教と言えば孔子
孔子と言えば、「論語」。
「論語」と言えば世界初の「組織」を説いた書籍として有名ですね。
「忠」よりも「孝」を重んじます。
※忠:上司に尽くす
※孝:親や先祖に尽くす
そんな儒教に六教(世間一般的には五経・ざっくり言えば経典)というものがあります。
元々六教のときは「礼」「楽」「射」「御」「数」「書」だったようです。
今我々の時代は「数」「書」しか実感がわきませんね。
しかし、この六教は異世界(=「超越するもの」)と通じるために必要なものだったようです。
「礼」≠「礼儀作法」、「礼」=「先祖崇拝」⇨帝王学
特に「礼」「楽」は帝王学として上の人間が身につけないといけない必須教養だったようです。
「礼」とは現代では「礼儀作法」のこととして理解されていますが、実際は「超越するもの」、特に死者や先祖と触れ合うためのものだったようです。そして「張説するもの」からパワーをもらう、まさに「呪術」的なものだったようです。
その力を非常に強烈だったようで、秦王朝下では焚書坑儒があり、「楽」は消されてしまいました。
ちなみにキリスト教徒の人は死者は無意識なのでそこと繋がろうとはしないとのこと。お墓参りもしないのかな?
普通の日本人は仏壇にお供えしたり、お墓参りの習慣はあると思います。
儒教は「孝」の考え方も含め、先祖崇拝がかなり強いですね。
そしてその先祖崇拝である「礼」が上手な君主が「徳」があるとされたのでしょう。
ちなみに「能楽」や「猿楽」なども「楽」という字がついてますがおそらく六教の「楽」に通じているのだと思います。
そしてそういった歌(唄)などを伴った伝統芸能は「鎮魂」であると安田先生が100分de名著「太平記」でおっしゃられてました。
「礼」や「楽」が日本の「穢れ」「祟り」思想に繋がってきました。
面白いですね。
今日はこの本を参考にしました。
次は「礼記」読みたくなりました。
帝王学w
私に必要なのでしょうか(汗)
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