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「BUCK-TICKと即興歌詞会」 #シロクマ文芸部

 秋桜(コスモス)と聞いて浮かんだのは花ではなく、山口百恵でもなく、BUCK-TICKの曲だった。中学時代からの友人がBUCK-TICKマニアで、1996年にアルバム「COSMOS」が出た当時、私たちは高校一年生だった。お金などなく、聴く音楽の幅を広げるために、友人の持っているCDをほとんど借りてはテープにダビングして聴いていた。アルバム「COSMOS」の最後を飾る曲として、タイトル・チューン「COSMOS」が置かれていた。花を美しいと愛でる感情を母の体内に置き忘れてきた私にとって、コスモスの咲く季節になれば、思い浮かぶのはBUCK-TICKの一曲であった。

 その頃の私たちといえば、楽器は買ったもののバンド活動はしていない、そもそもどうやって活動するの? という状況。練習スタジオに通って音を出す、という段階ですらなく、友達の家に楽器を持ち寄って集まり、でもそんなに練習するわけでもない、という状態であった。

 そんなある日、前述のBUCK-TICKマニアの友人と、X JAPAN好きのもう一人の友人の家に集まった。それぞれが適当な楽譜を見ながら練習のようなことをしているうちに、どういう流れか忘れたが「歌詞を作ろう」となった。オリジナルの曲を作ることなど考えてはいなかったのに、即興句会のようなノリで、短時間(10分とか15分だったと思う)で書き上げた。当時よく聴いていた音楽をまとめると下のようになる。

私(ブルーハーツ、メタリカ、ニルヴァーナあたり)
友人A(BUCK-TICK、BOØWY、CRAZEなど)
友人B(X JAPAN、LUNA SEAなど)

 詳しい歌詞の内容など思い出せるはずもないが、私はブルーハーツ風の、友人二人もそれぞれ好きなバンド風の影響がモロに出ている歌詞を書いていた気がする。
 後にそのような即興創作の場が形作られることはなかった。それぞれくっついたり離れたりしながら、友人Aはより本格的な音楽活動を始め、友人Bは楽器から遠ざかり、私は文学少年へと変貌した。

 自分の創作活動の源泉を掘り起こしていくと、中学時代、家でノートに詩のようなものを書いたことを覚えている。その後の何かしらの執筆は高校卒業後にパソコンを手に入れてからのことだと思っていたが、合間に音楽と文学の狭間で一瞬だけ創作していたことを、今回思い出した。

 ちなみにその後の私は、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の読書感想文をドストエフスキーの文体模写で書いて教師にスルーされたりしていた。


シロクマ文芸部の今週のお題「秋桜」に参加しました。
最近自身の創作活動のルーツを掘り起こしたりしています。
中学や高校時代は、周囲から何でも吸収していたなあと。


入院費用にあてさせていただきます。