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千人伝(一人目~五人目)

一人目 倉田

倉田の後にはいつも小さなキリンが付いて歩いていて、時につまずき、時に人や草花や犬猫にぶつかって、よろけたり吠えられたり引っかかれたりしていた。

そんな奴の後ろなんて歩くな、と僕はいつも思っていた。
身体の模様も薄くまばらなその小さなキリンは、角みたいな頭部の突起をぴょこぴょこさせて、倉田の背中ばかり見つめて追いかけていく。

やっぱりある日見なくなった。
代わりに倉田の後ろには薄く小さな影が付いていっていた。
そいつに向かってまだ吠える犬もいた。


二人目 西崎

西崎はいつも橋によりかかるように立つから危ない目ばかり見ている。
近くの家で起こった殺人事件の犯人が逃げていた時だってそうだ。西崎はまた捕りもしない魚を探して、川面を見つめていたのだ。後から分かったことだが、犯人は西崎の遠縁の男でもあった。それが判明したのは事件から数十年後のことになるから、事件当時、西崎と犯人との面識は一切なかった。

警察が呼ばれる前に、既に被害者の家族が犯人を追いかけ始めていた。
それはもうものすごい勢いで。警察が来る前に犯人を私刑にするために。西崎を見た犯人は、人質にしようとしたのか、それとももののついでに殺そうとしたのか、持っていた包丁を西崎に向けた。

西崎はずっと川面を見ていただけだった。覗き込みすぎて落ちた。さっきまで西崎が立っていた橋の欄干に包丁は当たってあっさり折れてしまった。
凶器が使えなくなったので殺し合いにはならず、犯人は一方的に六人から袋叩きにあった。

西崎はその後も橋がらみで大怪我を三度した。例の犯人と何故か十五回文通を続けたが、西崎四十二歳の引っ越しの際に燃えて灰になり、「遠縁だった」こと以外の記録は残されていない。

僕の見てきた些細な個人史の中にはこういった、残すことの出来なかった資料も数多くある。

ほとんどが、そうだ。


三人目 天井

天井は生前、オレンジジュースしか飲まなかった。
生まれた時からそうで、母親のお腹の中でもそうだったと本人は言っていた。
若くして亡くなった時にも、葬儀に来た全員にオレンジジュースが振る舞われた。
「これは天井を絞ったものじゃないか」と言う者がいた。
その目は笑ってはいなかったという。

その葬儀の出席者全員が、後に農業関係の道に進み、それぞれ大成功した。僕の調査結果、それはただの偶然に過ぎなかった。
天井の母親は「胎内でのオレンジジュース摂取説」は否定している。


四人目 二時沢

二時沢は酔うと干涸らびた。
干涸らび上戸体質なのだ、と笑う顔はシワだらけで、実年齢より五十は歳を取って見えた。

実際、酒に酔う度に老けているのだと言っていた。
その癖、呼ばれもしない席にも顔を出しては飲んで、すぐに酔って、干涸らびた。
他の泥酔者よりも背負うのが楽なので、そこは助かった。

そんな体質でも結婚し、子どもも七人持った。
奥さんは雪女だというが、「そのことは関係ない」と二時沢は、誰も聞いていないのによく語っていた。


五人目 千仙

千仙は俗称で、本名は誰も知らない。
千人の仙人をまとめて固めた、と本人は言っていた。当然ペテン師である。
この世にいない動物の内臓で作った薬や、この世に生えてはいない植物の種をすり潰した幻覚剤などを作って売っていた。
効き目だけは本物で、千人の病人を救ったり、千人の中毒者を作ったりした。

現在は刑務所に服役中である。本人は懲役千年を希望したが、聞き入れてはもらえなかったと言っている。

捕まる前に執筆した調合レシピが裏の世界に出回ってはいるが、再現出来た者は誰もいない。


入院費用にあてさせていただきます。