千人伝(三十六人目~四十人目)
三十六人目 濡肌
濡肌は海から生まれたわけでも、雨が人になったわけでもないのに、いつも肌を濡らしていた。時には激流のように肌の上を水が流れていき、うかつに濡肌に触れたものを溺れさせた。
濡肌は砂漠へと旅をしたが、肌が乾くことはなく、むしろ彼女を中心としてオアシスが生まれ、新しい街となり、辺り一帯の砂漠を駆逐してしまった。
その砂漠から生まれた人もいるがそれはまた別の話。
三十七人目 鴫林
しぎばやしと読む。鴫の多く住み着いていた林で生まれた。幼い頃から鳥に囲まれて育つと、人でも飛べるようになることがある。ただしここで紹介する鴫林については鳥の側に寄ることなく、人として育ってしまった。両親は空へ飛び立って住処を移しても、鴫林は故郷の林から出ることはなかった。
やがて鴫林の住処にも開発の手が入り込み、鴫林は人の目に触れることになる。現場作業員の一人が衰弱した鴫林を発見した。彼は助けを呼ぼうと一時その場を離れたが、その間に鴫の大群が鴫林を大空へと運んでいってしまった。彼はそう遠くない林で降ろされたため、半年後にまた同じような目に遭い、今度は人間の病院に送られ、そこで息を引き取った。
三十八人目 ジャンク
ジャンクのフルネームはジャンク・ストーリー・ボアダムズというが、通称ジャンクと呼ばれている。スラム街の中心部に、ゴミを捨てるために掘られた巨大な穴の中で生まれ、生涯をそこで過ごした。
ゴミとして捨てられたまだ息のあった人間に教育を受け、独自の言語を操り、ゴミの中で様々な研究をこなした。
スラム街が焼き払われた後に、ジャンクが石に彫り残していた研究論文が発掘され、解読された結果、それらは全て小説として読まれている。ジャンク・ストーリー・ボアダムズという名は、論文の最後に記されていた。
三十九人目 折人
おると、と読む。名の通り何でも折った。花も鉄も人の腕も夢も折った。
人を傷つければ自分も傷つく。折人は最終的にはそれまで折り潰してきた夢の持ち主百人の手による袋叩きに遭い、すり潰され、砂利より小さな粒となった。そこまで小さくなればもう誰も折ることは出来なかったので、ミクロの世界で自分を更に細かく折ることに腐心し続けた。
四十人目 粗宇宙
あらそら、は宇宙飛行士である。
船外作業中にアクシデントに遭い、二度と宇宙船に帰れなくなった。と世間では思われている。本当は彼は宇宙に放り出された途端、偶然その近くにあった家の住人に助け出されているのである。人間では知覚出来ないそのような家は、宇宙空間の至る所にあり、そこに住む者も様々である。だから粗宇宙にとっては、何もない空間で何故か生かされている、という状況でしかなく、言うまでもなく正気は保てていない。
彼を助けた住人の方は、人助けをしたことなど忘れて過ごしている。
そのため、粗宇宙の姿を私たちが今後見ることはないし、粗宇宙が正気を無くした果てに得た宇宙の真理を、知ることも出来ない。
入院費用にあてさせていただきます。