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「球根」改 #シロクマ文芸部

 ヒマワリへの道を歩く。花の名前はなかなか覚えられないが、ヒマワリくらいは花と名前が一致している。百合、椿、菖蒲、他いろいろ。図鑑で調べれば分かることでも、頭に定着はしてくれない。ヒマワリは弟の指先から伸びて咲いている。

 人類のほとんどは私を置いて球根となり、地面に埋まっている。彼らがまだ生きていた頃、罹患すれば助からない疫病が世界中に蔓延した。「植物となり地面に埋まり、やがて花となるのです」と学者たちは喚いた。「ウィルスの消えた将来に、花を咲かせ、自身の種を飛ばし、再び蘇るのです」などと。死に絶えたくなかった人類は、疫病に犯されると、自らの身体に球根化処置を施し、地面を掘り、潜った。やがて花となり復活する日のために、人型の球根となった。

 そんな人々に取り残されたのが、私を含めた、少数のウィルス耐性を持っている人間だった。人々を死滅させていくか、地面に潜り込ませるかしたウィルスなのに、一部の人間の身体は不死化させてしまった。いつまでもいつまでも世界をだらだらと歩くはめに陥ってしまった。球根化した人類のごく一部は、指先や毛髪やらを地表に伸ばしている。私の家族は、実家の側の公園に埋まった。幼い頃の怪我の跡が消えていない弟の指を地上に発見したのは、ウィルス蔓延から五十年後のことであった。弟が這い出してきたのかと思ったが、指の回りを少し掘ると、植物の根のような指が地面に埋まっているだけで、弟の身体はもっと地下にあるようだった。もしくはもう身体は分解され、指しか残されていないのかもしれなかった。

 私の見た限り、球根化した人から伸びた身体の一部から花が咲くことはあっても、人が復活する、という事態は見受けられなかった。いつか見かけた私と同じくウィルス耐性を持つ男は「酒、酒」と酒を求めてふらふらしながら歩いていたが、あれは「咲け」だったのかもしれない。彼もかつての恋人や家族の復活を願って「咲け」と願っていたのかもしれない。と気が付いたのは、彼との邂逅から数年経った後のことだった。珍しく同類に会えたというのに、駆け寄ることも、情報交換することも、一緒に歩くことすらしなかった。そんな性格だから、ウィルスも殺してはくれなかったのだ。

 球根化処置など、現実逃避の嘘っぱち科学でしかなかった。弟の指先のヒマワリはヒマワリの種をつけて、ヒマワリを増やそうとしている。弟の種は出てこない。酷暑が続いて外歩きを面倒がっている間に、弟のヒマワリは黒く焦げるようにして枯れてしまっていた。他の誰彼が咲かせた、名前の知らない花たちも多くは種をばらまくことも出来ずに枯れてしまっていた。

 弟の指先だけは変わらず地上に露出していた。私は水の代わりに弟の指先をふやけるまで舐めてやる。幼い頃、私が工作で使っていたカッターナイフを、まだそれを触るには早い弟に持たせてしまったがために、消えずに残ってしまった酷い傷跡。父母も埋まっているはずの地面から、弟の指先だけが、私に会いに来てくれるように生えてきている。よくみれば一本だけではなく、ごくごく小さいものも含めて二十本以上あった。どの指先にも同じ傷跡がついている。同じ指だ。同じ弟だ。

 季節は簡単に巡る。また弟の指先からヒマワリが咲き始める。私はヒマワリを話し相手にして語りかける。長い間人と会話をしていないものだから、うまく言葉は繋がらず、単語の連呼となっていく。
「弟」
「病」
「一人」
「公園」
「父」
「母」
 あの酔っぱらいの男も同様だったのだろう。「酒」も「咲け」も一緒くたになった、心からの呟きだったのだろう。
「夢」
「言葉」
「夏」
「嘘」
「水」
「死」
「詩」
「歌」
 そのような月日が百年だか二百年だか続く。
 ある日、私ではない声で「花」と聞こえる。弟の指先から伸びたヒマワリの花に小さな口が現れ、声を発している。花が「花」と言っている。数千本に増えた弟の指先から生えたヒマワリが、一斉に「花」と呼びかけてくる。それが私の名前だったと気が付くのには、さらに数年を要した。

(了)

音楽小説集「球根」THE YELLOW MONKEY
https://neetsha.jp/inside/comic.php?id=21721&story=35
のセルフリメイク。

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