地獄の中学受験で得たものー学歴でも将来安泰でもなく
人生で一番苦しかった中学受験
当時、東京のど真ん中に住んでいたのもあり、周りにも受験する子供が多く。
そして、ミーハーで教育熱心だった母は、
「地元の中学は荒れている!私立の女子校に娘を6年間入れれば、将来安心!」
と目を輝かせていました。
そして、私を、塾に入れました。
確か、小3の終わりから。
でも、中学受験は、義務教育で習う小学校の算数とは、違うのです。
今、ざっと思い出せる範囲で、鶴亀算、植木算、早さの問題とか、距離がどうとか、超複雑な立体図形の問題とか、複雑な穴埋めの計算問題とか。
高学年になり、受験が近づいてくると、深夜まで、母が隣につきっきりで勉強をさせられてました。
押し潰された私の心
私は、子供の頃、本当は、ダンスやお芝居、ミュージカルをやりたかったんです。
小さな頃は、一人芝居を作って、友達に見せたりしていました。
でも、そんな時間も全くなくなりました。
学校と塾と家が中心の生活でした。
当時の私は、何を思っていたんでしょうか。
心境は、ハッキリと思い出せません。
思い出せないというより、辛かった記憶を消したかったのかもしれません。
でも、一つだけ、覚えていることがあります。
それは、
大暴れしていたということ。
ギャーギャー騒ぎ、床をドンドン踏んで、壁を叩いて、暴れていた。
そのことだけは、覚えています。
おそらく、辛かった気持ちを、表現していたのかもしれません。
今思えば、どんな形であり、辛かった気持ちを吐き出せていたのなら、まだ良かったのかもしれません。
でも・・・その先に待っていたのは
家庭崩壊
大暴れ、騒ぐ人が、家族の中にいれば、家族仲が良くなるわけはありません。
今思えば、家族の中は大荒れだったのではと思います。
母は私につきっきり、4つ下の妹は、どうしていたんでしょうか。
のちに、本人に聞くと、放置されていたと言ってました。。
ギャーギャー騒ぐ私と母の、夜中まで続く勉強に、耐えられない父が激怒して、夜中、マンション中に響きわたる我が家の怒鳴り声は、近所迷惑もいいところ、酷い状況だったと思います。
でも、そのことに、当の我が家は、誰も、ヤバい状況だと気が付かなかったこと。
いや、気がついていたのかもしれないけど、誰も、立ち止まらなかった。
中学受験を辞めようとしなかった。
家族の仲が壊れかけていたのに、そして、子供2人の心が壊れかけていたのに。
見てみうふりをしながら、中学受験を続行したこと。
家族の中が、こんな状況になっているのに、中学受験をすることがいちばんの幸せだと信じていたこと。
これが1番の問題だったんです。
学歴でも将来安泰でもなく得たものは
私が、中学受験を経て得たものは、学歴でもなく、将来安泰でもなく・・・
自己否定感
でした。
なんでこんなに辛い経験をしてまで、中学生になったんだろう。
“どうせ自分は“という思いが、いつも頭の中にありました。
確かに、中学生になったということは、晴れて中学受験から開放され、電車通学になり、自由な身になったのですが。
まさに、生きづらさを抱えていく人生の始まりでした。
どんな生きづらさが生まれたのかは、また次回に続きたいと思います。
中学受験を否定しているのではありません。
勉強が好きで、家族の絆と応援体制があれば、素晴らしい体験と、その後の人生に、かけがいのない時期になったことだと思います。
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