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東電OL事件が他人事ではない話

「性被害に遭いたい」
 
私はこの呟きでプチ炎上を起こした事がある。
それはそれは数多くの人間(主に女)に叩かれた。
そりゃそうだ、犯罪だもの。
誰だって犯罪の被害者にはなりたくないものだ。
特に性被害ともなると、体の傷はおろか心に傷まで深く残り、生命にだって関わる事もあるだろう。

でも、だ。
それでも、この発言をしてしまった女がいる。
ストッパーが効かなかった。

同性である女達がさも当たり前かのように被害を語る。
主語の大きい女達は「女性なら皆被害にあっている」と言う。

私は「女」では無いのだろうか。 

否定された気がした。
異性はおろか、同性にまで女として認められていない気がした。
とっても、とっても、とっても苦しかった。
悔しかった。
だからその反動でこの呟きを止められなかった。

正真正銘、性別は「女」で産まれてきたはずだ。
お腹の中にいる時は男の子と疑われた時期もあったそうだが、ちゃんとマソコは付いている。使う予定に恵まれないだけで、付いている。

そんな時、東電OL殺人事件から〇年~という記事を見つけた。事件の概要は知っていたが心理的な所まではあまり気にした事が無かった為、もう一度モチーフされている映画や、小説などを手に取った。

「私?」「未来の私?」って、怖くなった。

最近、立ちんぼが話題である。
立ちんぼのニュースを見聞きする度、少し興味がわいている自分がいる。
あそこに立ったら、私も値段が付くのだろうか。
それとも誰にも声をかけられないのだろうか。
どっちだろうかと考えてしまう。

この考えを行動にうつした人物こそ、亡くなった彼女では無いのだろうか。
そう思うと他人事では無いと一層怖くなる。

人は売春する事や性被害にあうことを「悪」と思うかもしれないが(否、悪なのだが)、それを「希望」と考えてしまうくらい追い詰められる女もいる。

モテる女にとっては嘘みたいな話だろう。
何を言ってるんだこの狂った女はと思うだろう。

でもいるんです。現実に。ここに。
見てよ。見なさいよ。あんたはたまたまそっち側にいるだけなのよ。ねえ、わかってよ。


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