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会社を辞めて得たもの⑤

今回で最後です。自分語りはやっぱりいいものです。自分のなんでもない人生も、何かの物語のように思える。

4記事にわたって、就活から退職までを語ってきました。

本当は現在に至るまでに、離島での生活や、群馬での生活のたくさんのエピソードがあるのですが、ざっくりとだけ書いてまとめにします。

退職後

年が明けて5日、年越し台湾旅行から帰ってきて2日。人生初めての沖縄の離島に降り立った。

牧場で。住み込みで。月給12万円で。0から。

結論から言ってしまえば、『あの時の俺まじでグッジョブ』と死ぬまでこの選択に誇りを持つと思う。自分の世界は確実に変わった。アナザースカイと言える場所が見つかった。いつか家族を連れて行きたいと思う場所ができた。他人とファミリーになった。ついていこうと思える人生の先輩に出会えた。

もしかしたら、客観的に見てどん底だったから全てが眩しく見えたのかもしれない。もしかしたら、調子がいいのは今のうちだけで、数ヶ月後には死にたくなっているかもしれない。でも、そんな気がしないと思えるのだから大丈夫。

自分でもよくわからないものを積み上げて、本当は興味のないものをみんなと一緒に手に入れて、そうやって『社会』で生きていこうとした自分が確実に死んでしまったと感じる。だけど今の自分には、過去の自分との連続性がある。それも感じる。

今、『仕事って何?』と聞かれたら、なんと答えようか。

俺はこう答えたい。

『自分の出来ること、してあげたいことが誰かに価値あるものとして受け取ってもらえた時、形になるもの』

仕事は、働くとは、きっと『なるもの』なのだ。最初からそこにあるものではなく、誰かが求め、誰かが生み出したものとしてこの世に生まれるのだ。

だから俺は『自分の活動が、仕事になればいいな』と思っている。仕事を求めるのではなく、後から仕事になっていくくらいでもいいんじゃないかと思う。何が有能とか無能とかはわからないけど、誰かを助けたいとか誰かの力になりたいと思った時、きっとその人は『仕事ができる人』への一歩を歩み始めるのだと思う。

上司から降りてくる仕事はどんな意味があるのかわからない。だけどその中に自分の生きる意味を見出さなくてはいけない。

自分が好きでもないものを、好きでもない人のために、我慢してやっているのはきっと、仕事ではない。それは『消化試合』だ。

自分が1番欲しい。『あなたじゃないといけない』は、永遠にもらえない。消化試合をするのは誰にだって出来るから。真剣でないことも、課題から目をそらすことも、責任を誰かに押し付けることも、自分の身を守ることも、きっと誰にでも出来る。

だから俺はあの時『ここにいるのは僕じゃなくていい』と生意気にも言ったのだと思う。

今、昼間にいきなりかかってくる『仕事辞めたい』の電話も、俺はワンコールで取れる。深夜にいきなり送られてくる『別れた。死にたい』のLINEに、俺は1分以内に返事が出来る。『時間大丈夫?』と聞かれれば『時間はなんとでもなるから』と笑っていられる。『明日何時起き?』と心配されれば『昼まで寝て夜仕事すればいいから余裕よ』と言える。

忙しく働くことも、会社員でいることも、否定しない。ただ俺にはできなかっただけのことだ。向いていなかった。価値などなかった。企業に勤めて働くのが普通の社会に、俺は不適合だっただけだ。

『今暇?』と救難信号を受信したら、その瞬間に俺は暇になる。それはきっと『俺にしかできないこと』だし、『俺じゃなきゃいけないこと』だ。助けを求めたその声が、俺の時間を一瞬で暇に変える価値を持つ。

だから今の俺は調子に乗って、相変わらず社会をナメて、偉そうなことを言える。

本当は就活なんてまともにやってないのに。本当は仕事なんて働いたうちに入らないのに。本当は何でも1番になんてなれないのに。

だけど誰よりも『俺にしかできないこと』と自分が信じられることをしている。

俺が会社を辞めて得たものは『暇』だ。

暇。それは空白で、余白で、余裕で、空きで。自分以外がいつでも逃げ込める場所を得た。余っていないと、誰かに分けることはできないという当たり前を手に入れるために、俺は暇になった。

だから友人たちには、遠慮しないでね。と言う。暇であることをわかってもらうには、暇そうにするしかない。

自分の時間や労力を大事にすることは誰にだって出来る。俺じゃなくても出来る。だから俺は自分の時間も労力も、やすやすと友人達に分けたい。

ネガティブで、自分なんてと卑屈になっている友人が『まぁでも自分よりあいつの方が絶対暇だからいいか』と思ってもらえるくらいに、いつも暇でありたい。

そして自分にしかできない。『暇』であることに誇りを持ちたい。

『すごいね。さすが○○大学』『優秀だね。さすが元A社』

そう言われた時、俺はこう返すようになった。

『ありがとうございます!!でも、大学でも会社でもなく、"俺だから"なんで。そこ間違えないでくださいね笑』

自分を軽視することはいいことではない。だけど、絶対的に軽視する時のみそれは言えると思う。

俺は、相対的に自分を軽視している。あまりにもこの世界には、自分よりも大事なものが多すぎる。だから俺の時間や労力なんて、気軽に浪費して欲しいんだ。もったいないとか申し訳ないとか言わずに、俺のサンダルを泥だらけにしていいんだ。

『あとで洗えばいいから笑』といつでも笑っていられるだけの余裕と暇と、そしてそんな自分がピンチの時には助けてくれる人がいることを俺は知っている。

だから間に合わせのヒーローを今日もやっていく。

強すぎる敵にボコボコにされても、本命のヒーローが現れるまでの時間稼ぎができれば、俺の勝ちなんだから。そんな簡単な仕事はない。

俺にしかできない『自分を軽視しすぎること』で、大切な人を救っていく。

勝てない相手がいたら『俺がヤバかったら、お前がなんとかしろ』と代わりに戦ってもらう。

それが出来るって、幸せなことだな。

会社を辞めて、得たものがあって、多分これから得るものもあって、でも本当は得るはずだったけど得られないものもあって、今がある。

いつでも『0』でいよう。足し算だけ考えればいい自分でいよう。

そんなこんなで、俺は仕事を辞めた。

そしていつか言われるだろう。『そんなの、仕事したうちに入らないよ』と誰かに。

その時はこう返したい。

『たしかに。僕の定義では、アレは仕事ではなかったかもしれないです。今は、ちゃんと仕事してますよ』



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