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DXムーブメントがしっくりこない人ほどデジタルトランスフォーメーション・ジャーニーを読むといいかもしれない

DXという言葉

DX、というキーワードを聞かない日はない。コロナ禍に突入してから2年、ずっとそうだ。これは裏を返せば、2年の歳月を重ねてもなお日本におけるDigital Transformationがまだ発展途上にあるということでもある。

そもそもDXとは何か。Dititaization、DititalizationとDigital Transformationは何が違うのか。エンジニアであれば「DXってDeveloper eXperienceでしょ?」と思うだろう。ガンダムオタクなら当然、ガンダムDXが思い浮かぶ。月は見えているか。

エンジニアでありガンオタである私は、Digital TransformationとしてのDXはあまりピンときていなかったというのが正直なところだ。そして、そんな「DXにピンときていない」エンジニアがDXのムーブメントを理解し、またそれを自分ごとに落とし込むのに役立つ一冊が今回紹介するデジタルトランスフォーメーション・ジャーニーだ。

デジタル・トランスフォーメーションの本質はトランスフォーメーション

もともとウメオ大学教授のストルターマンが提唱したDXと、現在語られているDXは必ずしも一致しない。WikipediaでDXを検索すると、以下のように複数の定義が出てくる。そもそも多義的なのだ。

本書におけるDXも、必ずしもストルターマンの定義、「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」とは一致しない。そのまなざしは「人々の生活」を支えるもの、企業のトランスフォーメーションに注がれている。いわばデジタル・トランスフォーメーションを行うために必要な前段階のトランスフォーメーションだが、その変革を引き起こすのがデジタル・トランスフォーメーションというキーワードであるがゆえに、デジタル・トランスフォーメーションに内容される。そう、本質は変革、トランスフォーメーションなのだ。

トランスフォーメーションの要はアジャイル

アジャイル開発の推進者であり第一人者である市谷さんが執筆していることから予想はつくだろうが、本書ではDXの原動力としてアジャイル開発が取り上げられている。一定のリズムで価値を生み出し、生み出した価値から学んで軌道修正しながらよりよい方向へと向かっていくアジャイルは確かにトランスフォーメーションと相性が良い。

自分は今、どのジャーニーを歩んでいるのだろう

段階の設計、ジャーニー。ジャーニーの中でスプリントを重ねる。アジャイルブリゲードが変革の中枢を担い、アジャイルハウスを立ち上げてゆく。市谷さんにより定義された言葉は、全く新しいものというわけではない。それぞれの現場で、塹壕で悪戦苦闘している人たちが紡いできたものが言語化されたものがアジャイルブリゲードであり、アジャイルハウスなのだと思う。

だから、孤軍奮闘し突破口を探す実践者は、本書を読んで「自分がやっている活動はアジャイルブリゲードそのものだ」「つくりあげたいのはまさにアジャイルハウスだ」などと共感を覚えるかもしれない。

一足飛びの変化ではなく、ジャーニーを設計して段階的に前へ進む。自分達はいったい、いまどのジャーニーを歩んでいるのだろう。多少なりとも歩を前に進めている人たちには、本書はそういったことをふりかえるきっかけにもなるだろう。

なんでDXなの?という人ほど、読んでみるとよい

雑多に、本書を読み進めていて感じ入った部分について触れていった。DXか、じゃあデジタルツールとかノーコードとかの話なんだろうな。と思って読むと全く違う世界が広がっている。なんならデジタルの話はそこまで出てこない、比重は完全にトランスフォーメーションに寄っている。

だからこそ、「DXは自分には関係ない」と思っているIT寄りの人は本書を手に取る意味がある。いや、そういう人たちこそ本書を手に取り、なにやら蠢いているDXとやらの意義を理解し、感じ取り、そこに飛び込んでいくことが大事なんじゃないのか。

これまで、DXを実践できるスキルのある人はDXの外側にいた。だってトランスフォーメーションもなにも、それが前提なのだから。そこに分断があるのは、ある意味必然的なものだった。本書は、そんなDXの外側にいるがDXを推進できる人たちを内側に巻き込むためにも一定の役割を果たすのではないだろうか。そんなことを期待してやまない。

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