ぼくのマネジメント論
本当に、人間関係に恵まれた人生を送っています。40年近く生きていると、新しく「友人」と呼べる人間に出会える機会は少なくなっていきます。それなのに、CTO Night & Day 2023で「ちゃんさん」という親友と出会ってしまった。
ちゃんさんは、ゲームエイトでCTOを担っているすごい人。ルックスもイケメンだ。そんなちゃんさんの「最も大切にする法則」のnoteを読んで、自分もマネジメントについて大切にしていることを書き留めておこうと思い立ちました。本稿はその成果物です。ちゃんさん無しには生まれなかった成果なので、本稿を読んで得るものがあった方は私ではなくちゃんさんに感謝してください。私とは一緒に飲んでください。
これを読む方は、きっとマネジメントをされていたり、マネジメントをしたいと思っている方だと思います。お忙しいですよね。なので、目次を追えばとりあえずは私が大切にしていることがわかるようにしています。本文を読んでもらえるとすごくうれしいですが、目次を読んでもらえるだけでもうれしいです。
マネジメントは自分の管掌領域を超えてレバレッジをかけるための存在
マネジメントは人そのものを対象とする業務であるがゆえに難しく、難しいがゆえに偉大なる先人が貴重な知見を書籍の形で遺してくれています。マネジメントといえばピーター・ドラッカー。ドラッカーの著作群は本当に素晴らしいものばかりですが、自分の考え方の根幹になっているものは何かと考えるとアンディ・グローブの「HIGH OUTPUT MANAGEMENT」になります。
この一冊にはOKRの萌芽が見て取れたり、とにかく一つ一つのコンテンツが素晴らしいわけですが、本稿ではここで定義されているマネジメントの定義について取り上げます。
本稿においては、マネジメントの成果は「自組織の成果と、隣接する組織の成果の総和」とされています。ポイントは「隣接する組織」で、この一節がないと自分の組織の成果だけを最大化する蛸壺の誕生を誘発してしまいます。そうではなく相乗効果を産んでなんぼだよ、というアンディ・グローブのメッセージは鮮烈でしたし、自分がマネジメントをする際に一番大切にするポイントになっています。
取捨選択ではなく一挙両得を目指す
ビジョナリー・カンパニーでは、「ANDの才能」という概念が登場します。
個人の信条としては「優先順位をつけて優先順位の高いものから取り組むべき」と考えていますが、マネジメントをやっていると「とはいえ、両方やらなあかん」という場面に度々出くわします。気分はブチャラティ。
求められる成果は生み出しつつ、メンバーにとっても最良の決定をする。この両方をやらなきゃいけないのがマネジメントの難しさであり、真骨頂でもあります。自分がマネジメントをやり始めたときは、現場にいたときに自分がこうしてほしかったという思いから「メンバーにとってよい決定をする」ことばかりに集中していました。でも、メンバーは自分をとりまくすべての状況を理解しているわけではありません(翻って、マネジメントだってそうです)。ただ心地よさを目指すのではなく、成果を最大化するためにどうするか、という意識はとても大切です。(それに同意できないなら、僕たちの給料はどこから発生しているのかちょっとでも考えてみるといい)
納得はすべてに優先する
この価値観は、一挙両得を目指す上でも大切なものになります。このときに何が一番の障壁となるか?メンバーにとって、その決定が納得できるものであるか、という点に尽きます。かのピーター・ドラッカーも、最高水準のしごとをするためには「自分で自分を動かす」ことが大切であると説いてます。ジョジョ7部でも、納得というものの大切さについて語られています。
これは「納得できないことはやらない」ということではありません。肝要なのは、納得するために全力を尽くすということです。Amazonが公開しているリーダーシップ・プリンシプルに「Have Backbone; Disagree and Commit」という考え方があります。同意できないときにはそれを表明し、敬意をもって意義を唱える。
そのうえで最終的に決定されたことには全力でコミットメントする。
マネジメントを担う人間にだって、しっくりこない意思決定が降ってくることはあります。けれども面従腹背で「いやー、僕もこの決定には納得いってないんだけどねー。やれっていわれたからやらなきゃいけないんだよね、ほんとごめん!」なんてメンバーに仕事を渡すと、負のメッセージの幕の内弁当を押し売りすることになります。伝わるメッセージはこんな感じです。
・これは大した仕事じゃない
・私は納得できない仕事でも上司から降ってきたらそのまま受け取るマネージャーだ
・嫌な仕事でもメンバーにそのまま渡す
しっかりと異議を唱え、議論を尽くした先であれば、少なくとも何故それをやるのかという情報は得られるわけです。
「これはこういう理由で取り組む仕事だ。議論を尽くしたのだからわたしは全力を尽くす。みんなにもそうしてほしいから、納得できない部分があったら教えてほしい。」
そう言えるマネジメントロールでありたい。
無知の知
自分が知らないということを知っている。ずけずけと哲学論争をふっかけ続け最終的には毒殺の憂き目にあったソクラテスが大切にしていた、「知らないということを自覚している」ということ。これも、マネジメントをする上で大切な考え方です。
マネジメントを担当していると、自分のところに情報が集まりやすい状況が生まれます。情報あるところ、権威が生まれます。知らず知らずのうちに「自分が知らないことはない」という気持ちが芽生えていきます。違う、そうじゃ、そうじゃない。自分は知らないことがたくさんある。そう思い続けることはとても大切です。
そして、そう思うためには自分が知らない世界を拡げつづける必要があります。だって、知ってるものを知らないふりするのは欺瞞でしかありませんからね。
(いわゆる「できる」マネージャーが謙虚で学習し続けているのは、謙虚で学習し続けているからこそ無知の知の自覚を持ち続け、かつ学習し続けているからなのかもしれません)
人間を見せ、人間を見せてもらう
ちゃんさんのnoteで書かれていた「ムダなコミュニケーションがあってもいいじゃないか」は私も同意します。というか、それはムダではないと思っています。一緒にいる時間は仕事をしているわけだから仕事でさえつながっていればいい、は理論上そうなんですが、我々は所詮人間なので、その人の人となりを知りたくなってしまうんですよね。ジョジョ5部屈指の名場面、ブチャラティたちがボスを裏切るときのフーゴのセリフには心動かされるものがあります。
野球が好きなメンバーがいたので、野球を見ました。インテリの後輩がいたので、マルクスやエンゲルスの著作にあたりました。ちいかわが面白いときけば、ちいかわを読みました。その人が好きなものを知りたかったからです。
もしかしたら、自分の趣味じゃなくても他人が好きなものにフットワーク軽く飛び込んでいけるのは自分の特性なのかもしれません。個人的な感覚としては、その人が大切にしているものについて飛び込んだ人間については悪しからずとらえてもらえることが多いので、かなりコスパのいい特性かな、とおもってます。自分の知見も広がるし、いいことしかありません。
責務とは結果ではなく行為にある
そして、個人的にマネジメントを行う上で一番大切だとおもっている考え方はこちら。結果ではなく、行為に責務をもつということ。
自分がいる。マネジメント対象の人々がいる。人々が為す仕事がある。その仕事を受け取る人たちがいる。これだけ変数がある中で、結果に責任を持とうとおもうとどうしても安全に倒してしまいたくなります。
そうではない。責務は行為にある。
もちろん良い結果が出るなら、それに越したことはありません。でも、その行為を実施するまでは最善を尽くした、結果は気にしない。結果がうまくいかないなら、もっとうまくいくための行為をする。その繰り返しを行うことこそが、本当によい結果につながっていくのです。そのあたりの考え方は、ヒンドゥー教の聖典のひとつ、バガヴァッド・ギーターにくわしいです。
自分のマネジメントスタイルをみつけよう
ざっと、私が大切にしているマネジメントの考え方について紹介しました。私とあなたは違う人間だから、あうところ、あわないところがあると思います。その情報自体が、あなたにとって糧になると私は信じています。
マネジメントは難しい。自分がいて、相手がいる。外側から期待を寄せる人たちもいる。だから難しいし、楽しい。ドラッカーやアンディ・グローブが決定版と思える名著を世に出してもマネジメントについての論争がつきないのは、それが人間という不完全なものに根ざした仕事であるからです。
本稿が、あなたにとって役立つものになったのであればとてもうれしいです。あなたにとって役立たないものだったなら、異なるマネジメントスタイルだという気づきを得てもらえたという意味で、うれしいです。なんにせよ読んでもらえただけでうれしいです。
マネジメントは孤独を生みやすい仕事です。それなのにチームを前進させるために必要な業務だっていうのは、因果なものですね。みなさん、自分のマネジメントスタイルをみつけましょう。みつけたと思ったら、それをカイゼンし続けましょう。「◯◯さんがマネージャーでよかった」ーー。その一言をもらうために奮闘する私達マネージャーが、世の中をよりよくする原動力になってるんです。
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